http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1181.html

正剛さんをもってしても、ドン・キホーテはよくわからん、と知ってちょっと安心した。いや、語りの多重性についてはよくわかるんだけど、なぜセルバンテスドン・キホーテになろうとしたのか、ドン・キホーテが挑んだ風車が何なのか完全には理解できないように思う。
ところで、二次創作出身としては、ドン・キホーテが内包する憂鬱や存在の忘却、バロック性は身近に感じる。疑いなく、ドン・キホーテは、歴史上最初の「セカイ系」小説でしょうね。ドン・キホーテが想像の中で騎士になるように、「セカイ系」ではそこにないセカイに直につながり、二次創作では物語は思い出に還っていく。それは、諧謔だったり、リアルへの認識が貧困だったりするのかもしれない。でも、物語や事件を「セカイ系」のカテゴリに押し込めているだけでは、その背後にある憂鬱や蹉跌は理解できない。正剛さんの上記エントリーは、二次創作や「セカイ系」の物語について深く語るときの手がかりになりそうです。