Webの小循環

第6回フィードビジネス・サミット「CGM時代のネットワークマーケティング」 - END_OF_SCANを踏まえて。
小川浩さんが、Web2.0という言葉に喰われてフィードの知名度があがっていない、と自らの講演の冒頭で言っていた。そりゃそうだ。彼自身言っているように、フィードはWeb2.0の血液なんだから。血液そのもののが価値を持つことはない。
フィードがどこで使われるのに適しているのか、それがはっきりしていないから、フィードがいまいちなんだと思う。
小川浩さんがフィードのスコープについて述べている。コンテンツの露出があがるのには、それがネットに置かれた直後と、しばらく時間を置いて少しずつ多くの人に認知されていった後の二種類がある。フィードが威力を発揮するのは前者だろうという小川さんの意見には賛成である。サイズが小さく、整形容易で、端末を選ばないRSSAtomは、短期間に広く伝播するのに適している。
じゃあ、そういった、人がぱっと飛びつき易く、広まり易いコンテンツは何か。microformatやらを使って元のページを細分化した情報が、そんなに短時間に多くの人のアテンションを集めるのか。あるいはmodiphiが目指すように、元あるページからフィードをオフラインにがりがり書いたものがbreaking newsになるのか。そういう意味で小川さんのアプローチには疑問だったりする。
大向さんが指摘しているように、フィードのリアルタイム化は一つの流れになるだろう。twitterが今見せている現象はとても重要だと思う。簡単に、その場で、どんどんフィードを発する。あるいは、SNSのようにつながりを直に伝えるフィードを発する。ソーシャルメディアで多くのトラフィックが流れるところ、血量が多いところはそこだと思う。今のフィード業界は、そんな大動脈から毛細血管まですべてカバーしようとしているからあいまいになっているのではないか。
正剛さんも言うように、Webの延長上でフィードを考えるとつまんない。フィードの情報は小さくすぐに死に絶えるけど一度に多く流れることが出来る。Webの検索で発生するロングテールな情報は量は少ないけど末端まで行き渡る。今はヘッドの情報もテールの情報も同じ形式で扱っているけど、もし違う形になれば面白いことが起きるかもしれない。
モバイル社会シンポジウム2006の基調講演で石井先生が大循環と小循環という言葉を出している。体全体を流れる大循環だけでなく、肺の中で静脈血を動脈血に変える小循環があるから体が成り立っている。フィードが心臓から動脈血を送り出す大動脈になるには、静脈血を動脈血に変えるような機構がないといけない。もちろん情報の鮮度そのものもその一つではある。でもそれでは新聞など既存メディアと対して違わない。新鮮なクローズドなサークルから生まれるフィードであるtwitterがこれだけ爆発的に話題になるというのは、可能性あるいは未来を示唆しているように思う。
Web文化に、たまに思い出したようにどこかから出てくる既出の話題を繰り返す老衰化が始まっている中で、小循環で生まれた情報を体全体に流す仕組みが(今のSMOのように人手でごりごりするのではなく)より効率化すれば、もう少しまともになるんじゃないか。
まとめる。

  • フィードがWeb2.0の血液というなら、どんな血液なのか明らかにすべきだ
  • フィードを必要とする情報の特徴として新鮮さだけではないはず。フィードのリアルタイム化は新しい可能性だと思う
  • フォードと検索ドリブンなWebが非同期に駆動することは、ソーシャルメディアが継続してあり続けるのに必要かもしれない