笑いの動ポモ化

上記エントリーは、笑いが幼稚化している現象自体を取り上げているのではありません。
ぜんじろうは、2回戦が終わった後、こんな風に感想をもらしていました。「お客さん、とまどっていたようやね」。今の客は、この芸人がどういうタイプの芸をするのか、見た目である程度予想できないと安心して笑えない、となっているように思うのです。PaPeRoの実験によってその傾向が先鋭化して現われている点が面白いなぁと。
よく、笑いのプロセスを説明するのに、緊張と緩和とか、意味のずれ、なんて言い方をします。しかしそのために必要な文脈の了解はどんどんすっとばされている。記号化された見た目が笑いを生むための共通了解を作っている。それは、東浩紀が「動物化するポストモダン」で示した萌えのデータベース化と同じことが起きているのだと考えます。