パペじろうR1にでる

NECのロボットPaPeRoとぜんじろうの漫才ユニットであるパペじろうの最近の動きについて聞く機会があった。R1グランプリ(M1グランプリ一人芸版みたいなもん)の大阪予選に出て2回戦まで行ったらしい。

  • 最初はM1グランプリに出た。でも、PaPeRoが相方なのは、「漫才ではないから」と落とされた。
  • R1の観客は技術のことなんて何もしらない若い子で、しかもそのうち多くは自分の目当ての芸人を見るために来ている。パペじろうにとってはとてもAwayな状況。
  • 他の芸人は、まず見た目で笑わせようとするのが多かった。ホモっぽいとか。セーラー服にパンツ一丁とか。
  • ぜんじろう曰く、笑い(漫才)は3つの要素からなる。論理、しぐさ、音。論理をちゃんとやって笑わせるのが目標。
  • 準備がものものしいのは良くない。動作不安定だったり、やたら大きかったり、付き添いの研究員がものものしかったり。PaPeRoは身軽にできる。
  • 1回戦を踏まえ(他の出場者の傾向)、しぐさ、音にももう少しウェイトをおくことにした。2回戦でのネタはクイズ。

掛け合いもきれいな王道の漫才で、ネタもわりとよかった。少なくとも勢いだけの他の芸人よりはずっと笑えた。しかし、結果は落選。ぜんじろうは次のように分析していた。

  • 笑いとして論理が重要視されなくなっている。しぐさとか音の面白さだけで笑わせる。どんどん芸の笑いが幼稚化している。
  • そもそも論理は受け入れられにくい。さあこれから面白いねたしますよーと言って、なかなか笑えない。
  • それには日本人の幼児からの教育にもあるんじゃないか。「いないいないばぁ」すらアメリカは論理的("I'm not here, I'm here"と言う)。
  • 知名度の効果はとても大きい。パペじろうを知っている人はほとんどいない。テレビに出ている芸人は強い。ネタがつまらなくても面白いものだと思って聞いてしまう。本当はテレビなんて誰でも出れるのに。
  • 審査員も芸の面白さよりも客の反応を見て決めているところもある。

他の講演者から、ロボットらしい類型的な動きを強調したらもっと面白くなるんじゃないか、という意見があった。あるいは、ぜんじろうとPaPeRoが普通にやり取りしているんだったら、背後で操作しているのと違いがわからないのではないか、と。ぜんじろうはそれには反対していた。ただ形式的な笑いを作るのは簡単、しかしそういうのはしたくない、ロボットが人とインタラクションし、その内容で笑わせたい、と言っていた。
別の講演者から、遠隔講義がつまらないのに対して教室で直に聞く講義は面白いというのもある、人同士が同じ場を共有している、という共有感が感情移入するのに重要なんじゃないかという意見が出た。ぜんじろうはそれに対し、確かに見た目というか印象はある、しかし、ネタ自体はちゃんと聞くと面白いはず、ロボットがそばにいる状態が一般的になればそれは解決するだろうと言っていた。

PaPeRoとの実験によって、笑いが幼稚化しているのが明らかになった、というのはとても面白い。そもそも、「人は見た目が9割」てな本もあるぐらい、人は見た目でまず認識する。でも、ある人の人となりというのは、しゃべる内容と振る舞いとからの総合的な印象だ、と思うことが多いのではないか。この実験でわかったのは、どんなにしゃべる内容が面白くても、それがどういうものなのか見た目で判断できなければ受け入れられる度合いは大幅に下がる、ということだ。これは、あらゆるUI、とくにエージェント的なUIに当てはなるんじゃなかろうか。伺かとか。いやよく知らないですが。