胴体着陸ミーム

昨日はどこに行ってもみんな胴体着陸の話をしていた。
みんな胴体着陸が好きだ。胴体着陸という単語一つでいろんな想像ができる。試される機長の勇気と技術、理不尽な状況に巻き込まれた乗客の不安、機体を損なうことで状況を解決するというカタルシス、なぜそのような状況が引き起こったという体制への怒り――。バックストーリーも何もなく、あらゆる感情が瞬間に発生する。
言葉的にもすばらしい。飛行機の銀色の機体と「胴体」という身体的な単語との衝突から喚起される不安。「着陸」という大地への帰還という状況がもたらす神話的な連想。「胴体」が小さい1つの個体、「着陸」が着陸する物と陸そのものの2つの存在を前提としている、その存在論的なずれ。
世代とか文化を問わず、「胴体着陸」は単語一つで人に何かしらの感情を強いるすごいコンテンツだと思った。

ところで、村上春樹の小説のどこかに、世界の胴体着陸を指折り上げられる「僕」が出てきていそうだ。