ドリーム・ガールズ

エフィかっこいいとか、エディ・マーフィー意外に歌上手いとか、みんなと同じような感想はやはり持ったのだが、それはさておき。作品のラスト、ドリームガールズの引退コンサートに泣きそうになった。カタルシスがあった。そして、エフィが出てきたとき、素で泣いた。
ショービジネスの成功の中で、自分のやりたい音楽とのずれに苦しみばらばらになった歌手たちが、最後に自分たちの目指したものとそのときの絆が確かにそこにあったものであること、それがもう失われたものであることをを確認する、というのは、確かにミュージカル的だし今風の自己言及的なパターンだ。でもそれだけでは語れない心揺さぶるものがあった。
スパイダーマン2でもレントでもそうだったが、最近のハリウッド映画の手法として、過去に言及するときにその時の演出技法を用いることで、視聴者に感覚を追体験させるというのがある。対象との距離を自覚的に語ることで、それを乗り越えたときのカタルシスがさらに大きくなっている。ドリーム・ガールズの場合もともと、ストーリーを異化する形で歌が挿入されていくミュージカルとしてのフィクションの枠が設けられている。また、描かれる世界がショービジネスという虚構の世界のものである。そこにさらにハリウッド的な映像化でのお約束的な虚構化のルールを使っている。異なるレベルでの三重の虚構は、ラストの引退コンサートで一点に収束する。ストーリーとしても映像としても舞台としても、虚構を肯定する形をとる。光と影を色濃く持つエフィとプロデューサのカーティスのまなざしが子供に向けられるとき、虚構は本当の夢となって未来につながる。
日本でも海外でも懐古趣味なプロモートとか作品はどんどん増えているけど、それらはどれもコンテンツに回帰しているだけだったりする。ドリーム・ガールズでは、夢だけ語っていても何かを失うことになるよ、ということが登場人物の挫折によって描かれる。その上で、虚構を肯定してみせる。単なる懐古厨じゃなくて、昇華、カタルシスがあるように感じた。
実際には、この作品を楽しむのに、上のようなぐじぐじした読みは全く必要ない。ペーソスのバランス感覚、ディテールはプロの仕事です。ショービジネスの裏側のどろどろした世界も、歌や映像のおかげで深刻にならず楽しめる。One Night Onlyのパクリ合戦は好き。面白くて深くて泣けます。