貨幣コンテンツとそうでないコンテンツ

こうも同じ話題がループするのを見ると、ブロゴスフィア(あるいはアテンションエコノミー文化圏)では、貨幣となったコンテンツだけが流通するように感じる。CGCは会話だと言うけど、会話では賞味期限があるのに対し、実際には何度もループしている内容を持っているコンテンツだけが流れる。これはどういうことかというと、他の話題はループしているネタを中に含んでないと流通しない、ということだ。つまりネットでは、コンテンツは、貨幣に換算(ループしているネタと関連付け)することで価値が決まる。コンテンツの価値は、ループしているネタそのものの価値と、ループネタとの相関係数の積で表される。アテンションエコノミーは、単に人気のあるものが広く流通する、というより、人気のあるネタをうまく引き継いでいるネタが継続的に流通する、と考える方が正しそうだ。

例えば、西野神社さんの「二拝二拍手一拝という作法」というエントリーは、とても興味深いけど単独でブロゴスフィア的に価値があるかというとあやしい。そこにH木K子という要素が入ることでアテンションを獲得している

(追記)この状態を何と言うか、昔の人がちゃんとことばを発明していますね。「悪貨が良貨を駆逐する」。アテンションエコノミーは、「悪貨」を流通させる経済だっつーことです。表現が自由にできるようにしておけば自然といいものが残っていく、という楽観論者がいるけど、人間の歴史から「悪貨」が強いのはあきらかなわけで。