AIとWoC

Artificial Wisdom - 賢しき霊長類の星への賛歌 - END_OF_SCANを書きながらつらつらと考えていたのは、Web2.0の知はAIの悪い面をなぞっているようだ、ということでした。それは、さとーさんがつけてくれたはてブコメント

Intelligenceを感じるには、依然として直接会うしかないのだろうか

と、さとーさんがまとめてくれたWeb2.0の知の限界(→「さとーのweb日記:「賢さ」と「頭の良さ」)を読んでより強く確信しました。対面の経験を伝えられない、歴史的積み重ねから論理構造を作れない、個人によるストーリーを掬えない、という3つは、まさにドレイファスがAI批判としてあげている項目そのものだったりします。

20世紀のAI研究で生まれた知とWeb2.0の知が同じ傾向を持っている。これはちょっと不思議なことです。現実を一々情報に移し替える必要はなく、むしろ人が自発的にコンピュータに分かるように(RSSなど)現実を記述してくれている。それでも、Webで集約した知はold-fashionなAIと同じ陥穽にはまっているようです。WoCもAIのようにドツボにはまるのか。それとも他の要素があるのか。

AIとWoCは何が違うのだろう。例えば、おのおのの知の体系からこぼれ落ちるものはどう違うのか。AIが赤子の教育とか小脳の知能モデルとかに遡っていったように、Webもある種の"身体"を獲得するしかないのか。

これが今私の頭の中にある問いです。さとーさん(id:satos)があわよくば何か言及してくれることを期待してトラックバックを打ってみる。鬼のような問いですみません、面倒だったら無視してください。