Artificial Wisdom - 賢しき霊長類の星への賛歌

表題はJ. ティプトリーJr.の短編集より。

ポール・グレアム「賢くなる価値はあるの?」 - nikki
つまり、Wisdom of Crowdsはやはりwiseなのであってintelligentではない。このブログがこれまでとりあげた、Webの知のありかた、知を獲得する過程をあげておく。

オライリーはWebはArticicial Intelligenceになると言っているけど、それはないってことだ。WebはArfificlal Wisdomなのだろう。ところでAIはずっとwiseな方向でしか研究できなかったけど、Dynamic Intelligenceとかはintelligence寄りだ。ポール・グレアムが書いているように、wisdomは特定の知識として記述できるけど、intelligenceは性質にすぎない。アーキテクチャに本質的な違いがある。

それを踏まえ以下の文章を読むとまた示唆的だ。

The alarming thing is that we may have to choose between the two.
(注意しないといけないのは、どちらか一つを選ばないといけないかもしれない、ということだ)

Another sign we may have to choose between intelligence and wisdom is how different their recipes are. Wisdom seems to come largely from curing childish qualities, and intelligence largely from cultivating them.
(頭の良さと賢さからどちらかを選ばないといけないのは、この二つの育て方に違いがあるということから見えてくる。賢さは大部分が子供らしさを治すことで得られるし、頭の良さは子供らしさを養うことで得られる)

Recipes for wisdom, particularly ancient ones, tend to have a remedial character.
(賢さの育て方、特に古代のものは、治療的な性格が強かった)

The wise are all much alike in their wisdom, but very smart people tend to be smart in distinctive ways.
(賢い人々の賢さは似たり寄ったりだけれど、とても頭のいい人の頭の良さにははっきりとした違いがある)

とりあえず言えるのは、intelligentな人の才能のピークを過去と比較すると、ピークの数は増えているけど個々のピークの高さは低くなっている。wisdom(同質な社会の知)はintelligence(異質な個人の知)を扱えないから。wisdomは価値を数値化しやすい。多くの人に役立つ知はwisdomだ。intelligenceのピークの高さは数値化しにくい。せいぜいあるレベル(閾値)を越えたかどうかぐらいでしか判定できない。wisdomが上がるほど、wisdomとintelligenceの軋轢は大きくなる。intelligentを評価する閾値が上がる。シンプルな予測だが実際その通りに、日本は、そしてWebは進化している。
Webはwidsomに優しくintelligenceに優しくないアーキテクチャだ。「賢くなる価値はあるの?」と問う必要はない。とっくに賢さは優遇されている。むしろ「勉強する必要があるの?」という例の問いを、次のように言い換えて改めて問う必要がある。

"Is It Worth Being Intelligent?"

(追記)原文についているコメントも興味深いので後で読む→Paul Graham: Is It Worth Being Wise? : reddit.com