スパイラルスパイラル

雑多なネタを含みつつレスっぽく冗長に。

>nekoprotocolさん:

「単純化たん」てき擬人キャラがテツオばりにぶくぶく膨れていく様が思い浮かんだ。

あ、それです、それ。何か自分ならざるものに引きずられているようなんですよ。スパイラルっぷりが。イデオロギーとかでも、宗教とかでも、弱い紐帯みたいなのでもなく、もやもやと作られていく合意がある。
finalventさんがブログはみんなで作っていく私小説のよう、みたいなことを書いています。私小説の「僕」みたいな人格を自分の中に取り込んで読んだり書いたりしているような。いろんな人格がある中で、アテンションエコノミーで増長する人格と弱くなる人格とがあるように見える。
この話はいずれ別エントリーで。一つは、マトゥラーナの二重の自己にからめ、ブログでの思索の構造的カップリングについて。もう一つは、高橋源一郎とからめ、私小説としての「内輪の言葉」とその限界について。


>albinoalbinismさん:
すみません、前後関係を読まずに答えます。
まず、fromdusktidawnたんが釣り師かというと、そうでしょう。肉か大豆かへの反応を見ているとそう思います。あえて極端な(斉藤環の言葉で言うと「徴候的な」)振る舞いをすることで、反対意見が出るのも含めブロゴスフィアの活性化をコントロールする。おまいらが踊っているのも俺の手の平の中にあるよとでも思っていることでしょう。
まぁ、そういうプロレス化も、今やベタというか、これまでの事例を見る限り議論の広まる大きさもたかが知れている。個人的にはかなりどうでもよかったりします。
ところで、先日PAGE2007で開催された編集工学ワークショップというものに参加したのですが、そこで語りかけが編集(情報の整理)を発生させる、というのがありました。『オレが「バカばかり」なんて言ったのは、逆の方向から刺激を与えてみたわけですわ』と仰っているように、釣りに応じる姿勢もときに必要というはあります。ただ、二次的な効果、集合知の編集という視点でだけ見たとき、fromdusktidawnたんの煽りは(バカだからですが)編集を加速させるけど、外側の言葉による反論は全般に編集を終端させる傾向があるように思います。つまりアテンションエコノミーの加護がある前者の方がどうしても強くなるなと。

それとは別に、釣り師じゃなくても、「blogの連想ゲームで思考がどんどん単純化されて」(by bull2さん)いくプロセスに加担することがあるのが興味深いのです。ときに、「有識者」と呼べるような人でも、どうでもいい下らない意見を発したりする。「スルー力」のときにそういう状況を見かけて、興味深いと思ったのでした。

別に、みんながお馬鹿になっていくことを嘆いているのでないです。ただ、アテンションエコノミーは意見をチープにする方向に働く性質がある。それは、Webの情報は信憑性が低い、とか玉石混淆とかよりも、本質的な問題であるように思うのです。ブロゴスフィアは、網目がとても小さく高速に揺れているふるいのようです。価値のある情報を出そうとふるいを激しく揺らすと、カットされた宝石も他の石とぶつかって角がとれただの石と変わらなくなる。