2006年にやったこと、2007年にしたいこと

リソースから計画を決める

プロットとOutputとの関係を考察して気づいたのは、プロットの規模がInputとOutputとの量を決定する、ということだった。
普通、Inputをとりあえず入れて(提案)、リソースが決まって期待成果が決まって、そこからフィードバックしてInputに制限をかけてストーリーを作る。この場合、物書きでも開発でもそうだけど、Inputとストーリーを壮大に描きがちになる。そうすると、うまく立ち上げられない。物書きだとどのエピソードから書けばいいか判らなくなるし、研究計画だと近視眼的な開発か超基礎研究のどちらかに陥ってしまう。
リソースが限られているとき、出力を制約するのではなく、入力を制約する方がいい。かけられるリソースは大体の場合決まっている。まず適切なストーリーの規模を決める。そうすると、InputとOutputの規模が決まる。こうするとストーリーがぶれる可能性が下がる。
自分のやりたいこと(書きたいこと)をすべて会社(読み手)に判ってもらおうと思ってはいけない。その場所で実現できるストーリーの分だけ会社(読み手)にコミットすればいい。やりたいことが会社だけで出来るはずがない。会社でするのが適当な研究と個人でするのが適当な研究をちゃんと区分けしようと思った。
2007年は提案と成果のプロセスを具体的にして、こまめに提案と成果を見せていくようにしよう。大きな青写真じゃなく小さくコミットし、提案に制約をつけることでアウトプットを具体化する。ま、ベンチャーはみんなやっていることなんだろうけど。あと20%ルールは守るようにしたい。

人脈を広げる

企業の研究者として普通に活動していては絶対に知り合いになれない人と多く知り合いになれた。社内外含めて。そのために、セミナーにも数多く行ったし、必要なら色々とコンタクトした。メタキャストにも遊びに行きましたよ。

役立ったのは、紹介記事を書いたこと。恐ろしいことに、学会への投稿を一度もしなかった。代わりにこれまでやってきたことを文書の形で公開した。研究分野では技術紹介を何度か。社内にはWeb2.0のコンテンツアクセスについて。後者は、最初ここのブログにエントリーをたて、それから社内文書として出した。社外では他分野の研究者に自分を紹介するのに役立ったし、社内では全然知らない事業部から相談を受けたりした。自分がエキスパートであることは、権威のある場所で明らかにしておかないといけない。
企業の肩書きも役立った。ある程度の大きさの企業で研究職につくことは、会社の肩書きを利用でき、ベンチャーよりも低いコスト(説明責任)でお金を調達できる点で得だ。年金とかも保証されるしね。
複数の企業のWebページ上のラボとベンチャーのラボとかが互いにAPIを使い合うような場がいつか実現できればいいなぁと思っている。NGNトライアルみたいな硬いのじゃなく。そのために何をしなければいけないのか全然判ってないけど、まずは地位作り。

ワークスタイルを確立する

どうも、シリコンバレーの文化をそのまま適用して、大企業に寄っていることをへたれと見る風潮がある。
[R30]: 書評『ヒューマン2.0』、または流動化のための心得集にこんな記述があった。

 聞けば当たり前のことのように思えるが、こうした「パラレルキャリア」「セカンドキャリア」の発想を持って人生を送ろうと考える人が、日本では意外なほど少ない。僕よりも上の世代は「天職」という概念、僕より下の世代は「あなたが一番好きなこと、やりたいことをやりなさい、仕事にしなさい」と教え込まれ続けてきたことが、職業選択やワークスタイルの極度の硬直化を招いている。会社が自分のことを必要としていないことを自分自身分かりすぎるほど分かっていながらそれでも会社にしがみついたり、「自分が本当にやりたいと思ってきた仕事」を高望みしすぎて目の前の労働機会と自分の人生に絶望し、無気力になってしまうといった不幸な人たちが数多く生まれてしまうのも、これまでの公的教育において教えられてきた誤ったワークライフ概念の結果のように、僕には思えるのだ。

これまでのワークライフに見切りをつけ、どこにどのようなリソースを投入するか計画することは必要だろう。でも、それは企業に属していても出来るんじゃないかなと思っている。楽観的かもしれない。でも、企業の犬かベンチャーかといった殺伐とした二元論はきっと正しくない。大切なのは、身の丈を知るってことなのだろう。そして何をどこにコミットするか自分を整理することだろう。私の場合、メディアに関わる仕事をするならネットのこちら側を安易に切り捨てることは出来ない、という方が大きいんだけどね。
2007年はそういう人が増えて欲しいと思うし、そのためのノウハウをみんなで共有するようになるといいなと思う。シリコンバレーな人の、危機感煽りすぎな割りに非生産的な議論は、もういらない。