ウェブ人間論(梅田望夫、平野啓一郎): 極東ブログ

下の引用のうち、太字は私によるものです。

誰か語ったことがあるだろうか。『スター・ウォーズ』とは民主主義を否定する物語なのである。(中略)この映画は、民主主義を含め、現在世界の体制を生み出す全ての機構はある絶対的な正義によって転倒しうるという強い情念を植え付ける。それは仕組まれたサブリミナルのメッセージというより歴史の限界性が自然に生み出したものかもしれないのだが。その感性がヒューマンな快感として、そして技術と結合して語られる。ハイデガーよ永遠に眠れ。

対談者はどちらも、ある特定のシステムのカウンターとしてWebをとらえている。そしてそれがあるべき姿なもの、自然な姿への回帰だと信じている。技術によって実現されるある形態に、カタルシスを感じている。カタルシスとは自分の中の毒を出す行為なのだ。
恐ろしいことにfinalventさんは、二人の語り手が、そして『スターウォーズ』の世界をイメージして開発を行うグーグルの連中が、Webに対して投影していることは、システムに対する抑圧された意識を解放しているだけだと言っている。私にはそのように読める。でなければ、どうして

そうした忍耐を欠く私は結論を急ぐようだが、梅田は七五年世代の代表にも見えるはてな創業者近藤淳也と同じものを平野から聞き取ろうとしているのだろう。私はむしろ、この対談書で梅田の職業的な精神の構えのようなものを知り、驚かされる。

平野が性的な身体という発想から、ウェブ世界の欺瞞性を照射しようとする場は、彼自身も自覚的なのだが、きわめて政治的な場である。単的に言おう、ブログなどでいくら政治を語ってもそれが匿名であり身体をもたないのであれば、それは欺瞞なのではないか?

と読まれてしまうような内容になってしまうだろう。彼らが各々見つめる「人間の本質」に断絶が見られることになるのだろう。
まぁ、宗教なんかも同じ役割を果たすわけで。宗教が自然現象の奇跡を「ヒューマンな快感」として拠り所にするのに対し、Web2.0は「魔術と見分けがつかない」技術を拠り所にしている、ってことか。