「ぶっちゃけソースコードと言葉は違う。言葉は見た瞬間自動実行されるバイナリみたいなもの。」

アンカテのエントリー「人はネットの言葉から受ける影響を自己管理できるか?」経由。
"世の中には2種類の人間がいる"というお題に、一つ回答するなら、「自分の思考をフィードバックして閉ループ系を作れる人と作れない人」だ。この話でいうなら、自動実行されたモジュールの出力をそのまま標準出力するか、他のモジュールに突っ込めるか、の違い。そのためには思索モジュールを抽象化しないといけない。
森博嗣が、「最近の若い人たちはものごとを抽象化してぼんやりと考えることができない、直接使える知識やツールを求めがち」みたいなことを言っていた。教養とは、思索を仮想化する技術のはずだった。自動実行されるバイナリを素で扱っていると、個別の11人ウイルス@SAC 2ndGIGみたく、簡単に頭をやられてしまう。まぁ、イデオロギー自家中毒を起こすこともあるんだろうけど。