議論のボトルネック

酔狂さんのコメントにレス。
>ブレイクダウンの軽重はアテンションで決まるんですかね
そうですね。ベストセラーは優れている、というのと同じ意味で。そして、アテンションを集めるブレイクダウンというのは、誰もが共通了解を持っている問題にほぼ限られている。今だといじめとかテレビとか。梅田さんは、ライブドア問題を一例としてあげ、ネットの議論が多様であり既存メディアと違うというけど、議論が豊穣になる問題の種類は限られている。昔は問題をつきあわせるところにボトルネックがあったけど、今は問題を問題ととらえるところにボトルネックがあるのは確か。Good Feel Stateなんかでは、本来解決すべき欠落もシステムが隠蔽してしまってブレイクダウンとして認識できないでしょう。
歴史とか詳しくないんでてきとーですが、今のネットの議論の状況を文学の歴史にマッピングすると、ちょーど騎士道物語とか妖精物語ばっかだった時代に合致するんではないか、と。コスモポリタンな人でないと創作はできないと言っていたギリシャ時代は、昔の議論の状況と合致する。もう20年ほどしたら、ドンキホーテが現れたように、内容ではなく状況(ブレイクダウン解消のプロセス)をメタ化する超水平思考的な議論ができるようになるのかもしれない。それまでは、日本サッカーのように、誰にでも見える対象にみんながワーワー集まる形でブレイクダウンが共有されるんじゃないんすかね。