ラベリングとタギングの違い

大泉実成さんが自身のはてなダイアリーで「オタクという言葉の使用について」でオタクって言葉をみんな使わないことに驚き、という話をしているけど、実際使う必要がないなぁ。他の人は知らないのでよくわからないけどね。

オタク的なコンテクストで話をしているとき、別にそのことを隠蔽するわけでもないし、何か自己実現しようとしているわけでもない。TPOによってビジネスモードとカジュアルモードを切り替えるようなもんじゃないのかね。今やWeb上でこれだけ簡単に他人の"声"を聞ける中で、コンテクストを理解するため特定のコミュニティにコミットするという機会はずっと減ってきているんじゃないかな。情報処理のためにアンガージュマンするなんてもうないんだと思う。Web2.0的なネットのあちら側の世代を"Participation Age"と呼ぶことがあるけど、別に参加しようと決心しているわけじゃない。もっと緩やかで深く静かにつながっている。浸っているというか染まっているというか。

特定の傾向を論ずるときにラベリングするこれまでのアプローチはもう無効化していると思う。大泉さんのエントリーへのレスは黒人問題とか岡田斗司夫の言葉とか引いているけど、その時点で全然ずれちゃっている。呼吸するように肌感覚で情報を共有するこの感じは、「オタク」という言葉がこれまで持っていた意味に引きずられると決して言語化できないと思う。

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