"ゲド戦記"へのル=グウィンの感想

dissapointとかangryとか厨丸出しの反応ですよ。ルばあさん乙。感動してしまったので思わず俺訳。
前置きとか経緯はすっとばして、感想うぷするよーというところから。

Much of it was beautiful. Many corners were cut, however, in the animation of this quickly made film. It does not have the delicate accuracy of "Totoro" or the powerful and splendid richness of detail of "Spirited Away." The imagery is effective but often conventional.

「どこも綺麗なんだけどさー、急作りなこのアニメじゃ映画で絵が動いているところではたくさんカットされてたよねー。「トトロ」のきめ細やかな精緻さも「千と千尋」の力のあるすげー充実した作画細部の描き込みもなかったし。イメージは効果あげてるけどだいたいがどっかで見たようなのばっかだよねー」。絵の美しさについては、ルばあさんがジブリに期待したものから程遠かったということなんでしょう。"in the animation of"とわざわざ言っているところを直した。detailをすっとばしてたので直した。他の人の訳で「豪華絢爛」というのがあったけど、richness of detailsはやっぱり「神は細部に宿る」という話だと思うので、オタっぽい表現を使ってみた。imageryは「比喩的表現」という言い回しを使っている人が多いけど、「映像が喚起するもの」という内容なんじゃないかなーと思う。直喩とか隠喩とかの話じゃないし。

Much of it was exciting. The excitement was maintained by violence, to a degree that I find deeply untrue to the spirit of the books.

「どこもエキサイティングなんだけど、それは暴力シーンが続いてるからだよねー。それって絶対本のキモの部分からみたら違うよねー」。面白いところは暴力で持たせていてそこにダメだししてるってことで、全然ダメと言っているのと同義です。deeply untrueという強い表現はspiritとつながってて、間違いが作品の本質レベルで起きているということなんだろう。

Much of it was, I thought, incoherent. This may be because I kept trying to find and follow the story of my books while watching an entirely different story, confusingly enacted by people with the same names as in my story, but with entirely different temperaments, histories, and destinies.

「思ったのは、どこもグダグダでわけわかめってこと。それはさ、本のストーリーを探して追っていこうとするんだけど、実際見てるのはまーったく違ったストーリー、また混乱するのが演じている人物があたしの物語と同じ名前なんだけど性格も過去も背負っているものもまーったく違うからなんだよねー」と、entirely differentを繰り返し、その酷さを力説してらっしゃいます。temperamentだからcharacterと違って、気性とか性格づけてな感じか。
ちょっと飛ばして、キャラに語らせすぎのところ。

I think the film's "messages" seem a bit heavyhanded because, although often quoted quite closely from the books, the statements about life and death, the balance, etc., don't follow from character and action as they do in the books. However well meant, they aren't implicit in the story and the characters. They have not been "earned." So they come out as preachy. There are some sententious bits in the first three Earthsea books, but I don't think they stand out quite this baldly

「あたしはさ、"ゲド戦記"の中のメッセージってちょっと重くてうまく扱えてない高圧的だと思うのよ。よく本からそのまま引用してるんだけどさ、生とか死、均衡とかについて言っていることがキャラにそぐわないのよ。本の中でやっているのとは違って。意味していることはよくわかるんだけど、物語とキャラから滲み出てくるものじゃないんだよね。キャラたちが苦労をして得たものじゃないのよ。だから、説教臭漂ってるんだよね。最初の3冊のアースシーの本にはいくらか教訓っぽいところがあるけど、絶対こんな風にそのままな形では出てきてないと思うのよ」。作品を介して伝える姿勢がそもそも違うよね、と。"earned"がすごい単語だよなー。稼ぐ=苦労をして対価を得るってことなんだろう。"heavyhandled"と読み違えていたので修正。上から手で押さえつけられるイメージなんだろう。
道徳観念わけわかめの後の、善悪がはっきりしてるという箇所。

The darkness within us can't be done away with by swinging a magic sword.
But in the film, evil has been comfortably externalized in a villain, the wizard Kumo/Cob, who can simply be killed, thus solving all problems.
In modern fantasy (literary or governmental), killing people is the usual solution to the so-called war between good and evil. My books are not conceived in terms of such a war, and offer no simple answers to simplistic questions.

「あたしたちの中の闇は魔法の剣を振っても打ち払えない。でも、この映画じゃ、悪はうまいことクモという魔法使いの悪党に外化されてた。そいつは簡単に殺せて、それで万事解決。
現代のファンタジーじゃ(文学的にも政治的にも)、人たちを殺すのがいわゆる"善と悪との戦争"のための普通の解決法だ。あたしの本はそんな戦争ものとして読まれてないし、簡単にした問いに簡単な答えを与えはしない」
men/womenではなくpeopleなところがルおばさんらしいかと。externalizeは単に具体化するというより、切り話された形で実体化するてなところ。

美術、演出、キャラ造形、と創作のテクニカルなところから、テーマの語り方、世界へのものの見方という創作の根本までダメ出ししてます。クリエーターとしてほとんど全否定。ギガヒドス。
最後は、動物と水は自然でかわいくて、そこで癒された(超意訳)、そこだけはアースシーだなーと思った、てなとこ。環境ビデオの価値しかない、というのはルおばあさんも賛成ってことで。