インテンションエコノミーとアテンションエコノミーの間のみぞ

口コミを広める力のひとつに、信者による「買い支え」があると思っています。この作品は俺しか知らない、みんなにも知って欲しい、ってやつ。
たとえば細田版「時をかける少女」。各所の映画満足度ランキングで1位をとるようになる前、2ちゃんねるの関連スレにはそんな書き込みが散見されました。ところが、マスコミに取り上げられると、傑作というほどじゃない佳作レベルだ、なーんてトーン抑え目の発言が増えてきたりする。
広まりすぎた作品へのファンの微妙な心理については、ちょうど妖精現実の人が書いていたので引用。

「なぜ自分が好きな作品について話さない方が良いと考えるのか?」については、多少考えもあるが、それらの作品についてここでは話さないと決めているので、個別の話はしない。ただ一般論として、サイトの利用者が増えるにつれて、好きな作品の話をしたくなくなってきたのはなぜなのだろうか、別にそれでトラブルがあったわけでもないのに…と考えると、やっぱり「恋人をさらしたくない」という感じなのかもしれない。つまり、仲の良い友達ならボーイフレンド(男性ならガールフレンド)を紹介したとしても、あまりに不特定多数の前に「これがわたしの好きな人です」とさらすのは、抵抗がある。

身内の中での口コミと、マスの中での口コミとは、構造が違います。切込隊長は「『ゲド戦記』が不評のようなのに商売人根性が炸裂し興行成績は優秀な件についての考察」でマスをベースに口コミをうまく回すには、

テレビなどのマスメディアを利用した広告宣伝の量的集中投下を前提とした技法と、ワイドショーなど無料のパブリシティを組み合わせた技法のミックスで世間の注目を煽ることが大事である。

と書いています。情報の量と多様性がある閾値以上である必要があるってことです。
一方で、内輪で口コミを回すには、ある一点で対象が表現過剰であること、対象について語られる場がマイノリティであることがキモになります。量よりも質、多様性よりも特異性が重要になります。
ニッチからマスへ相転移を起こすとき、インフルエンサーのメンタリティ、コンテンツの消費される要素は大きく変化します。インテンンションエコノミーとアテンションエコノミーは違うもので、それを動かすものも違っている。
異なる構造のエコノミーをカバーするコンテンツは何だろう。消費要素に関しては、小さな物語でありながら大きな物語であることが1つあげられます。「ほしのこえ」のように。
インフルエンサーのモチベーションを維持するのはどうすればいいんだろう。二次創作のように副産物を次々生み出し話題にするんだろーか。

ということで、どちらもまだまだ検討の余地ありだと思います。消費要素については今のところまだ限られた物語のパターンしかないし、インフルエンサーについてはメディアミックスとかブログマーケティングとまた違ったプロモートが必要になる。少なくともネットとマスコミの対立構造だけを取り上げてても何もわからない。