ICCリニューアルオープニングシンポジウム「組織の創造/創造する組織─コミュニケーションの新形態」

インターネット中継で見てました。とても面白かったけど、「リテラシーを取り戻せ」みたいな結論しか出なくて、うーんという感じでもある。速記したメモをとりあえず貼っておきます。

注意)以下のメモは私が勝手に書き取ったものであり、発言者の意見を正しく反映していない可能性があります。誤字脱字は後で直します。


遠藤さん
これまで作ったゲームの紹介

動画革命東京
DVDの単価が下がった
アニメも深夜放送→売り、ができなくなった。
"大作"化するしかない
成功するチャンスを作りたい


・特定の映画作品、興行のために
政策委員会形式

ポートフォリオ
動画革命はポートフォリオ型をとっている
そうそう作れるものではない
マーケティング

プロデューサをつけることでヒットレートをあげる
そこで、単なる金融事業者とは違う

誰がお金を出している・
東京都が1億円
政策投資銀行が出していたりもする

アニメ金あかかるといいながら

面白いのが出てきている
・2年前に話題になったの
iPodミニのコマーシャルではなくて
アメリカの高校の先生が作っちゃった勝手CM
ソニーの勝手CM
勢いで/安く作れるようになってきた

LLPという組織形態
25分程度
プロデューサ作る
20本ほど
ジャパニメーションてだけで売れるってことはないわけではない

30分ほどのパイロット映像を作ってもらって
投資を求める

LLPを作品ごとにつくる
会社作るより、
・運営費用安い
・簡単につぶせる
・出資割合に関わらず事業への貢献度に応じて傾斜配当もできる
など

コンテンツキャピタルとして運用も容易に

応募20件以上

目利きをする人は何人?
プロデューサする人7人ぐらい
応援団的な外部製作会社の人、70名ぐらい
海外で10名ぐらい

なんでもかんでもくっつけて、あとで権利とりあいの血みどろにならない?
自分の苦手な点を判っている人
エンジニアがわかっていない人多い。
納得感がある

    • -

農産の

やばくなっている
野菜とか米とか作る基盤が崩れてきている。
そのときの流通についてコンサルティングをしている

農業の価値も下がっている
アクティブな労働者が減っている(茨城の150人の農村で、2人)
日経がよく農業をつぶせなんて言っているけどそんなのできない

中国からいろんな農産物がやってきて外食とかで食べている
それは安い
そろそろ輸入できなくなる
:中国との内外価格差がどんどん減ってきている

世界で原油だけでなく食べ物の価格があがってきている
世界総体で見て作れる食料の量が減ってきている

これからの農業生産段階に必要なこと
経験、勘でやってきた生産を、ノウハウ解析・活用型の農業へ

バリエーションが多すぎない?
ある程度しぼらないと

ファンドでできない?
アニメはあたれば大きいはずれば小さい
農産物あたったとしても利益率低い。日常品だし

ブランドでするのではなくもっとファンダメンタルなことを考えないといけない?
日本人が今の2倍の量食べ物を買わないといけない

LLPという投資はゲームでもあったけど?
リエータ集団の中にそういうことに頭のきくやつに限り
ほとんどのクリエータ集団はぐずぐず
未完成リスクが非常に高い集団になる。

投げ代s田

こんなものがつくりたいんだという夢だけ大きくていつの間にか
事務所にいっているとみないみたいな。

メーカから請け負うという場合にはどう管理している?
ゲーム制作は、ゲーム機の世代間で作り方が違う
80年代敵な作り方ではクリエーターが好きな作品を作っていた。
納期遅れても売れるからそれでよかった。クリエータ主導
規模が大きくなってきて、規模を維持するために宣伝などをする
それだけお金がかかる、マネージメントをしていかないとだめ
でもリスクが大きくなうr

21世紀ではnコスト管理もやって
なるべく低コストで
良いアイデアがなければだめ

作りたいという人をうまくコントロールするディレクター、
マネージャーがいる会社が成功している
合併など、大きくなりすぎると逃げたくなるクリエーターも多い
それが成功するかしないかというのもマネージメントの仕事

リソースとして人の問題が
流通の
背中を押して送り出す人が足りてない
農業はものすごいレアでは?

どっちの料理ショーをみて発奮している農家が多い
件のブランド担当者、
山形は/新潟は。。。どこに行ってもうちは口下手でねーという
きちんと伝える努力がない。

暗黒大陸ぐらいの原始段階
ようやくマーケティング、プロモーションをしなければいけない、
逆にいえばそれがチャンス

現場の情報は、センシングの情報とは違う情報のとりかた
それこそが人に関わっている情報

センシングのようにsystemizeれた情報ではなく
情報を発信するセンスのある人がいない

農村に売るという人がいない。リスクを負って、プロモートしない

ゲームでは、出てくるものにマーケティングのかけらは見えない
マーケティングをやらないと売れないというのが事実
昔からゲーム好きな人だと、そういうのはろくでもないゲームだ、
マーケティングをやればやるほど、ライトユーザーが必要なのがわかる
それでないとマスが狙えない
脳トレ、英語づけ
昔ながらのゲームファンはPSPみたいなものを。

DSが出てきたとき、電子辞書と重なって見えた
楽ビキというそういうソフトがでている

作り手としてカンはある?
それがないと成功しない
目利きができるプロデューサがいないとだめ
ゲームは続編が軒並み多くなってしまう
数も読めるし、そこそこ売れる
新しいものを判断して、やってくところがないと。
目利きってすごい大事だと思う
#それこそWOC?
ゲームの目利きの資質は?

ゲームがうまいやつは概して駄目
特定のジャンルに好みがかたよらない人がよい

物語としては?
初めて終わるまでの物語に対してのセンスは必要?
今は細分化されている、というのが正しい
ストーリーに偏ったものを書く場合は、それの専門家に依頼する。
音楽についても、ゲーム音楽出身もありだけど、一般の音楽
映画の作り方に近づいたという感じ

映画と同じようなりすくを抱えるということになる?
そう。
2億ぐらいの予算のはのきなみ駄目。それより大きいか、小さいか。
ゲームでもSimpleシリーズか、大作か、になっているのが実情

要素技術が変わっていく中で作り方も変わっている、だろう
そのとき経営者としてプロダクトとして結び付けていくまで
が変わっているだろう。どう対応している

最初は自前主義が当たり前
それが90に独立系プロダクション、ゲーム音楽はみんな独立して
プロダクションを、グラフィックもやがてそうなった。CGも
他のとこからの人が。ネットワークの技術者も他の畑の人が
引っ張られて制作に携わったり
ゲームもある程度以上大きくなると完全に分業主義に。

組織的にもお金的にも技術的にも分担化というこt?
そう。

ロングテールの商品もできるように
どかんとあたる、というのからじっくりヒットするような形に
その方向に流れているのはたしか

たまごっちって息長いですね?
あれはうまいしかけ。
携帯のたまごっち。
作り手の思い込み。また一山あててやる、というのも大きいし。
世代が変わって
子供にとって、親はたまごっちに詳しいおばさん。
コミュニケーションツールにもなっている。

知恵袋みたいな人が出てきたりする?
そうなるのかも

アニメはコストが下がって一人で作れるようになって
今まで見たことないものが作られるようになって、となってる
でも最後は劇場だったりする。
ビジネスモデルとして他のものがあったりする?そこがきも?
ビジネスモデルの複合化がすすむ、というのがある。
マルチウィンドウ
劇場はたくさんの人の目につきやすい。劇場はプロモーション
映画におけるロングテールはレンタルショップといえる
そこに埋もれたときにどうやってピックアップしていくか
そのために映画にかかる役割はずっと大きい
オールドファッションに見えるが、旧態依然としたメディアに
出すのはやはり重要
PRとしてさまざまなメディアには出している
現状だと最初からネットでどうやって口混みで広がるか
という枠組みを考えないといけない。
深夜帯のアニメ、二次利用のためにやっているというのもあるけど、
これからチャンネルが増えてきてコミュニティサイトが増えてきたとき、
ビジネスモデルが複雑になる。そこで流通のモデルとして
劇場の信頼性、放送の厚みというのが基本になる?

ネットワークエフェクトとしてそれがやはり必要
町に歩いていて目に入るもの、社会的認知の世界で
そういうのが大きな存在感を持つ。
いったんもぐりこんでもまた浮き上がってくる
成功するものはとことん成功する、という
ダビンチコード、ランキングおちつつある
プロモーションについては万全だった。宗教的なものに対するアクション。
映画のランクは落ちつつあるが、十二分に商売としては成立している
ミドルヒットがなくなっているのは事実。
セグメントマーケットの中での認知率を高めるというのは必須条件になっている。

農産物って、リピートオーダに答えるまでスパン長そう
野菜って一年で絶対になくなっている。米もそう。
米はお金が入ってくるタームは1年に1回しかない。
野菜での値段ののつけかたは需給バランスのみで決まる
みんながものを欲していたときは売り手が強かった。
今はかい手の方にパワーがいっている

変動

ゲーム
パッケージは数決めてから2ヶ月ぐらい
ロムカートリッジ、本数すぐ決められない。売れても次の準備できない。
人気のあるものだとヤフオクで取引されたりする
ゲームにもそういう現象がある
それをネットワーク
CD-ROMjはそういうリスク
リピートすればいいや、ということで置いてくれない
ゲームの販売店に1点置いてもらえるようなものだと1万本ということに
しばらく置いてやっと売れた場合だと、次とってくれない
成功しているのは廉価版シリーズ。同じシリーズでそろうと面取りができる
カートリッジ時代のがヤマ色が濃くて面白かった
当時は本屋のモデルだった。本屋と違うのは返品のシステムがなかった。

パッケージ型のになると
得にアメリカになるとリテーラーが勝手に値段つけられるようになる
日本では再販制度があってあまり値段を変えられない
ノンパッケージだと根本的にモデルが違う

オンラインゲームだと最初パッケージで打って別に利益も
その伸び率は、横ばい
運営の方は150-170%
オンラインの運営の方が儲かる。パッチあてて更新していく。
アイテム系の運営に切り替わっている
普通のだと1000円ぐらい。
アイテム計だと4000円ぐらい
レア利ティコントロール
食玩ではやりすぎて禁止になった。
トレーディングカードも。オンラインゲームも
チートなど悪いことして手に入れようとするいたちごっこ。

アニメでできない?
根本的にパッケージ配布が弱くなってきている
オンデマンド、TiVoで買えるようになっている。
そうなると単価が落ちる
→キャラクターとか、違うプロダクトにどう普及させるか
というマーチャンダイズが重要に

GyaOはどうなんだろ
俳優はそういうのを受ける傾向
あれのためにオリジナルを作るという話はない
ただフラッシュのようにクリエイティビティとこうじょうてきなもの
工場がライトならちょびちょび出すというのが可能になる
そういう形になれば
テレビと比べて、広告としては難しい。制作の形から変えないと。

携帯ゲームはアーケードと似ている
100円いれる嫌ならやらない。
パッケージははずれだと、リスク大きい。
映像に比べてリスク大きい
でも携帯の方は高くても500円程度、いやなら止める。
そっから先バイラルで広がらない。アーケードで人が集まる
ゲームが気になるように、ケー帯ゲームのばいらるが似ている。
アーケードやっててよかったと思った

コンテンツは情報財だから、あたまにあてるものがしっかりないと苦しくなる

スケールメリットが全然違う。工業製品と同じことができない。
スケールの考え方として
企業が小さくても顧客を大きく抱えることが可能
アセットは情報財では少ない
作る人のネットワークのスケール。ここがようやく顕在化してきた。
まあまあのものを作って、それを誰かが手を加えて面白くする、そういうのを
するにはサイズが必要

ワークスタイルは変わっている
一方で、エースが引っ張っている業界。エースクリエータがいないところは苦しい。
人を育てるというのはとても重要

ゲーム、後進を育成する方法がない。カリキュラムがない

戦後から行われている農業は自作農。
グループが作りにくかった。農協を抜けて、独自でやっている
生産者団体が伸びてきている。あとはファイナンスなどがクリアされれば
少し動く。

農業の分野の聞きとうのは諸費者にある
スーパーで野菜が売れなくなっている。料理がしない。
料理をしない人は、想起ができない。
モチベーションが
食知識が崩壊した段階でどうやって売ればいいか。

リテラシーについてどうすればいいか。

ゲームはむちゃくちゃ関係する
新しいことするなら必ずチュートリアル。それについていけるかどうかが問題。
オンラインゲームについていけない人
それってデジタルデバイドとおなじだったりする。
教育
ゆとり教育の弊害
物理とか数学できるやつが減っている。
世代全体ができない

長いものを見なくなった。小説、映画、
劇場映画ってのは1920代にできた形式。そこからメディア技術の発達で
どんどん小さくなっていた。
クロサワなんてみなくなった。

プロダクトの中に、リテラシー、教育を入れないといけなくなってきている。

アニメーション、これから物語を作る、長くみてもらうというのが
難しいんじゃないかな、と思う。それはどう?
かなり深刻だと思う。90分のアニメ作るのって大変。
ストーリーをそこまで書ける人、それを構成できる人が減ってきている。
脚本家ががんばって書いたところで飽きちゃう人が増えてきている。
そこで国内で売れなくても海外でまだ売れる、というのはある。
日本のアニメ、漫画を読んでいる海外の人が増えている。
それにリテラシーがある海外の学生が増えている

じゃあどっちに向けて作ればいいのか、心配というか判断に困る。
漫画はいろんあものを作ったと思う。
こまで読んでいくというリテラシーが層の厚さにつながった。
今は漫画も読まずにばかになった。

そういうのを含めて、単にコンテンツを作る、というだけざなく
ユーザも育てるというのが必要になっている。
食べ物に食育のニュアンスを含めて売らないといけなくなっていく

美味しいというだけのメッセージじゃだめ。


売れるものを作っていると淡々と売れる。でも同じ
違うのを造りたくなる。
農業も違うもの造りたくなる?
百姓というのはもともと再分化されたものをたくさんつくるのが
そもそもそういう意味
それが、今限定されている。
その中で農協に出荷せずに自分でやっている人は、たくさんつくる
つくっている人もいる。
ひとつひとつのスパンが数週間で終わってしまう。
京野菜ってブランド。造っている農家は限られている。
限られたパイでの食い合い。
農家はゲームクリエーターとちがって一点を磨け上げる
ほうにすすんでいる。
リエーター系はうまくいっていない。プロデューサーがいないから。

家庭菜園の功罪ってあると思う。
功は食べ物に対する関心はあるだろう。ただ、ものを作り出す
ところでプロ意識がないのが気になる。
でも最近、それもわるくないと思う。素朴なものを作る喜び。
それを食育でできないか?
今それを始めている。小学校の給食で食材や器などを使わせたり。
自分たちで作った野菜は残さない。
福岡県である幼稚園、完全和食、薄味、親も集めて説得してそういう
のを作らせた。
それで確実に子供が変わるんだそう。
席に座らない子が多い(多動性)が、ずっと減っている。

製造者責任はこれから増えていく。
だから、その分対価が払われるようでないといけない。

みんな違う季節の食品を作るようになっているけど、それすると
全体でパイが減っていると思う。きちっと季節にそっていいものを作る
方が。
そういうプロデュースを考えないといけないのでは?
売り手の問題かも。
売り手が限定する、というのをやめないと売れない。
その流通を変えていく仕組み。

アートのシステムって一点もののスターシステム
それがネットワークが入り要素技術が入り、変わってきている。
ICCも変わってきているのかも。
その契機になったのではないか。