セカイ系の通過儀礼

tdaidoujiさんによる、大泉実成萌えの研究」の紹介を読んで、まさにtdaidoujiさんと同じく「おまえは俺か?」と叫びそうになった。

いいのかこの幼女に手を出して、いいのかこの先まで進んで。なまじっか批判的に距離を置こうとか頭で考えながら手を進めていくから却って引き返せなくなっていくんだよな。

これもどうしても引用したくなった。

このへんの「俺は今だまされようとしてる」と思いながら抵抗できない、てのは誰もが通る道だとは思うんだけど、活字になってるのは初めて見た。

そういえばオタの通過儀礼を描いている作品はいろいろあった。ここでは、ストーリーにおけるモチーフ・記号が通過儀礼の踏み絵になっている。その手のゲームやラノベは確かにそういう構造をとっている。
オタなメディアにおける体験とか、ゲーム小説の世界観(例えばセカイ系)が読者のそういう体験に支えられているところとか、書こうと思いつつもう仕事なのでやめ。