モバイル社会シンポジウム2006−ユビキタスコンピューティングの話
2003年から2005年にかけて「やおよろずプロジェクト」というのがありました。2003年のときのフォーラムは聞きに行ってたんだけど、その時一番印象深かったプレゼンは、全身にコンピュータを装着した男がバス停で待っている写真に「こんな格好するの?」というコメントをつけたものでした。元ネタはparvasive 2002?だったかな。
講演者の高汐先生に後で質問したとき、このプレゼンを行ったのは先生だったとのこと。あの後いろいろあったそうです。ウェアラブルコンピューティングの研究者たちを敵にまわしてしまったらしいwww 「チームつかもと」の塚本先生からは、一度サシで対決しようじゃないか、とまで言われたとかw 結局「やおよろずプロジェクト」はぐだぐだだったらしい。互いに相手の言っていることがわからず、疎遠になったとかかんとか。身内でそれを揶揄しあってるようじゃダメだろ。
今回、未来心理研究会として文理融合の試みを行っていたようだけど、技術と思想の関係や環境の捉え方(人間中心主義って…)など、基礎的なレベルでのコンセンサスもとれていないように思えました。
あと、ユビキタスってデザインとかアフォーダンスとか考えているように見えないんだけど、という質問をしました。高汐先生は、勿論重要だから考えていかないといけない、と答えてくれたけど、やっぱり私にはデザインに対する意識が見えてこなかった。
講演は特に目新しいことはなかったですね。下にメモを貼っているけど、雑ですよ。
以下は私が見聞きしたことを勝手に書き留めたものです。
空間メモリ
想起しやすい配置
忘却しにくい情報の所在の提示:実空間へのタグ付け
瞬時な情報へのアクセス
三次元座標をアドレス値とする空間メモリにおける身体と空間
人のいる位置に対応するコンテンツを提供する
取り出すコンテンツの位置を決めるため動作の記号化をする空間に埋め込まれた情報に、動いていってアクセスする
uTexture:タッチパネル+RFIDリーダ
特別な入力なしに位置を認識uTextureの特徴、加速度センサー、RFID
もっと活用できるだろう。自分のところで完結しているとわからない。
やってみるとまだまだ駆け出しなことがよくわかる位置センサーをどうするか。外は?
閉じたところからオープンに。
RealWorld空間と人との融合 慶応 高汐先生
uPlatea:NTTドコモのモバイル研究所によるデモスペース 有楽町ビル
日常空間の延長でデザイン
Access Open Platform : ユーザとユビキタス情報空間の間をつなぐデバイスの
プラットフォーム東大の青山先生らも実験スペースを秋葉のダイビルに作っている。こちらは近未来的。
3つの空間からなる
Meeting space, Public space, Living spaceuTextureを用いたDIY Ubiquitous Computingの実現
自由にassembleし家具を工作のための部材としてのubiquitous computing一枚に組み合わせると壁だと認識しどの位置にあるか判断し、何をするか提案する。
棚として組みあわせると、また、自分がそれを認識するSmart Furnitureからの展開
:鏡がディスプレイ、柱がデバイス。。。将来は布のようなものに
実際に使うにはまだまだ遠い。
技術者が説明するとどうしてもテクニカルタームを使ってしまい分かりにくい
実利用との大きなずれ*ユビキタスとは特別な何か?
自然の流れとしてコンピュータが小さくなる
→つなげなければいけない、調べるセンサーが必要だ
*ユビキタスの次にくるものは?
目新しさがなくなると、結局インフラ。Calm Computing
例えば
「思いついたときメモをとりたい。
現実は、PCを取り出したり。その間に忘れてしまう。
そういうのを何気なくサポートして欲しい」
そんなシーンをまじめに考えてきただろうか。技術屋としての反省
モノを作ることにこだわりすぎてなかったか。
→コンピュータがまだまだその存在を主張21世紀はサービスの発明なんてみんなが言っているけどその通り。
人間から環境側へのアクションが前提としてある
環境から人間への働きかけを本来もっと重視すべき人間が持つ道具は簡単であるべき。
高汐先生的にはセンティエント・コンピューティングがいいんじゃないか。
触っているものを感覚的に理解できるということ。見えないものとどのようにインタラクションするのか。
把握が難しい世界
センサーが無限に配布されると、把握されないまま勝手に通信を始めて何かやってしまう。最終的な拒否権はユーザが持つべき。
なんとか明るい世界を考えたい。
人間中心のユビキタス
やおよろずプロジェクト
うまくいかなかった。情報交換がうまくいかなかった。
共通の言語、話題、土俵がなかった。間に立って話を考えてくれる人。
「人間がわからない」
人間ってどういうことなのか。
評価をしたい
情報へのアクセス、蓄積をあげることで生産性があがるという仮説。
人の能力の構成がわからない
どういうタスクを設定すればいいのか。
どのように能力をきりわけるか。どれがのびたというか。妥当性の評価。問題を切り分けるー>実際の人間ではない
議論の末、技術、サービス、人間をつなぐものに解はない。実験だということが
わかりながら、各分野の研究者が観察して仮説をたててまた試すしかない。
技術を出していくしかない。
人間に対するイメージはみんなばらばら。軸を設定するフェーズもある
物理的、心理的、社会的、それぞれの人間性。
今は持ちよったところ。