モバイル社会シンポジウム2006 − 情報社会の倫理について
なぜか会場に鈴木謙介氏の師匠である宮台真司がいた。突然宮台による授業が始まるしwwww 確かに和田氏の話には、倫理ができる歴史背景がすっぽり抜けているんで、情報社会だけど倫理持とうよと言っても説得力が薄い。経済的要請から倫理を作らなければいけなかった19世紀と違い、資本主義は人が動物になる機会を増やす方法に働いているしね。
以下はメモ
以下は私が見聞きしたことを勝手に書き取ったものです。
情報社会における人間とは何か / 和田伸一郎氏メディア技術のよい利用と悪い利用
悪い面について、これまで商品化された技術、社会化された水準での技術しか
考察されなかった。
それ以前の段階からの見直しが必要ではないか技術の本質(根源的な理論)が実践の段階でブレイクダウンするときに人間化が入る。
そこから承認された技術が社会の中で使われる技術(社会化される技術)になる。理系技術者は、技術の本質を作るところから社会化された技術まで全部扱っている。
人文学者が議論しているのは、社会化された後だけ。
社会学の見地から技術の本質の部分を語りたい。
悪い面がある:「技術のポテンシャル」の再定義、「人間」の再定義が必要
人間概念があいまいになっている
18世紀末にいたるまで人間は概念として存在していなかった(フーコー)
現代ー19世紀以降
人間についての学問が開始されたのは19世紀以降、
心理学、社会学、精神医学 → 狂気の人間化メディア技術の人間化
現在利用されているメディア技術のほぼすべてが19世紀に発明されている
19世紀に誕生したこれらのメディア技術は20世紀全体を通してほとんど変化しなかった。
19世紀に確立された人間についての概念が20世紀を通じて変化してこなかったことに対応している。
技術の成型が依拠してきた人間の概念そのものが変貌することがなければ、メディア技術の在り様も変化することはないのでは?情報社会の前提=性善説
それが崩れてきている。
さまざまな悪:誹謗中傷 殺人(自殺)教唆画面に向き合う空間の「個室」化
:法律も道徳規範も届かない個室空間
画面の権威性がなくなった。倫理とは?
善:「人間」で在ることに踏みとどまろうとすること
その人間の概念が不明瞭に、あるいはその根拠が不明瞭にセキュリティー社会論
法や監視で管理する問題点
隣の家に空き巣がはいるのを見かける。監視があるからすぐに警備会社の人が駆けつけるだろうと考え、空き巣を見逃す。隣人への「傍観者」化
地域社会への参加からの撤退
傍観の正当化:
・セキュリティー業者への責任追及
・被害者の自己責任論
→懲罰社会傍観の論理は悪と断定することはできない。
道徳的、法律的善悪以前の問題
特定しにくい悪共同存在としての人間:人間は一人でいるときですら誰かに守られている
存在論的安心:近くにいる誰かが助けてくれるだろう
この安心を技術で代行する⇒人が不安になることがあるのでは存在論的安心は気遣いがないと成立しない
人間が最低限やらなければいけないことだろう
監視社会はそれを技術が代行している技術に疎外されているというより情報技術の主人になっていない
人間化がうまくいっていないということ後ろ向きの自由
自由が広がっているが、それは後ろ向きではないか
人間が怠惰になっている。動物化する自由が増えている。法律・道徳が届かない領域。悪がなにかよくわからないから、新しい人間像を思い浮かべられない
鈴木氏の反応
倫理は受けが悪い
何かわからない。
どうやって解決するか。経済的な動機付けに基づいてソリューションを考える方が通りやすい
なぜ人間性にこだわる必要があるのか?
利用者ができることはまだある。問い直す必要がある。
コミュニケーションは解決の糸口にならない?
コミュニケーションはわからない会場にいた宮台真司のコメント:
社会の歴史学的な点にあまり注目されていないアメリカ 科学技術立国
宗教的な文化性倫理 ウェーバー
プロテスタント的である。あるいはアングロサクソン的。人間的ではない倫理より道徳
証券取引法
アメリカでは、グレーゾーンに対して強い権力をもって対応する
ヨーロッパ的な非流動的な階級構造で入れなかった者たちが作った社会ヨーロッパ
紳士協定を守っていない取引以外、暗黙
非流動的出入りが規制されているアメリカ的自由:ルールを壊すものはぶっ殺す
移民がたくさん:境界の人が増える
ルールがきいてくる
中心:倫理に従って振舞えばルールに従うことになる
周辺:ルールに従わない。ITがそれを解決。悪いことをできないようにする
ひっかかるのはバカ。中心のやつはひっかからないアメリカ以外の国がアメリカ的自由を使うときの問題になる理由がわかる
日本に、倫理を期待するのは無理
周辺に対応する文化的差異が問題
スローライフなんて当たり前。
ロハスなんて言ってるけど。日本じゃ普通。技術でも倫理でもない道筋は何か?
共同体の中でのすり合わせ
その中での技術の利用を考える和田氏:
孤立化というので考えていたのは、利用環境が社会から脱領土化している。文脈から外れている
それが画面に向きあっているときに起きる。鈴木氏:
個としての人間にこだわると、それにつく倫理が必要だ、ということ?和田氏:YES
会場からのコメント:
どうして倫理が出来たのか。
市民革命とか王権神授説とか。
その中で平等主義なんかができてきた。データベース型消費、個々が独立して存在している
大きな物語がなくなり
個々のパーツが消費される。
画一化・平等化から、個々のパーツを組み合わせる、個性。個々の個性を組み上げて、ひとつの何かを作り上げる。
ITがそれを実現にする。SNS。
個々の関連によって
脱規範的な状態でどう調和するべきか。和田氏:
多趣味になっているというのはあると思う。
全体として偏っているように感じる。アテンションの外部が排除されていることが気づかれない。
人間の行動様式みたいなものも考慮しないといけないのではないか。
倫理が多くの価値観の中で相対化したときにどう対処するか?
その中で平等主義なんかができてきた。
データベース型消費、個々が独立して存在している
大きな物語がなくなり
個々のパーツが消費される。
画一化・平等化から、個々のパーツを組み合わせる、個性。個々の個性を組み上げて、ひとつの何かを作り上げる。
ITがそれを実現にする。SNS。
個々の関連によって
脱規範的な状態でどう調和するべきか。多趣味になっているというのはあると思う。
全体として偏っているように感じる。アテンションの外部が排除されていることが気づかれない。
人間の行動様式みたいなものも考慮しないといけないのではないか。
倫理が多くの価値観の中で相対化したときにどう対処するか?