モバイル社会シンポジウム2006 - ケータイでの公私について

公的な場所(学校・職場)でメールを読んだり通話することに対し、自分が躊躇する度合いの方が一般的に許容されないと考える度合いより高いらしい。自分は周りよりは遠慮して使っている、と思っているわけです。
以下はメモ。
*注意:以下は私が見聞きしたことを勝手に書き取ったものです。


公私の区別に関する調査 / モバイル社会研究所 調査チーム

ケータイは常にプライベートなメディアであるとは限らず、ケータイを使用する際には次のような点において公/私の概念が生じる
・コミュニケーション相手との関係
・ケータイ使用時における周囲の状況
携帯電話は社会においてどの程度公的なツールとして認識されているか
携帯電話を使用する際、使用者は公私を意識しているのか

相手
a: 家族
b: 友人
c: 知人
d: 他人

場所
A: 家庭内
B: 友人と会っているとき
C: 学校職場
D: 世間一般(街中、買い物中)

ケータイがかかってきたとき、自分ならでる(主観評価)か、一般的に出るのは構わないか(客観評価)
メールが来たとき、自分ならその場で読むか、一般的に出るのは構わないか
それぞれ5段階評価
5:気にせず出る(−2点)
3:重要そうなら出る(0点)
1:出ない(2点)
で加重平均
主観評価結果:躊躇度
客観評価:不快度

主観
職場学校だと電話にでるのに戸惑う
周囲の状況に関わらず他人からの電話には躊躇がある

客観
職場学校だと電話にでるのに否定的
周囲の状況に関わらず他人からの電話には許容度が低い

メール
学校職場ではメールを読むことに戸惑う
許容度が低い

相手が親しいほど許容度は下がる

主婦層は他のセグメントと比べ、学校職場レベルの状況において、また他人レベルからの
相手に関してとまどう度合いが大きい

高齢者層は、学校、職場レベルの状況においてまた他人レベルからの相手からのメールが
きたときは戸惑う度合いが高い

学生は寛容;差が0.5程度上にいっても変わらない。
普通では差が1.0程度、相手が親しいとそれだけ大きくなる

自分が躊躇する度合いの方が一般的に許容されないと考える度合いより高い。

高齢者は主客の差が比較的小さい

通話よりメールは戸惑いがちいさい
とくに職場以外での差が大きい

他人レベルでメールならずっと寛容
高齢者は逆にメールの方が戸惑う傾向がある

コミュニケーションの相手が私的であるほど形態に対する戸惑いや不快感が小さい。
ケータイ自身は相当にプライベートなメディアだと認識されている