普遍的シンボルの話 id:paraselene:20060205 - behind the counterへレス

たぶん,宏方さんは「普遍」を主観的な意味で使っていますね?

そうですね、はい。中にいる人にとって「普遍」的という意味です。

で、境界にいる人たちが自分の「普遍」を共有する、というステップにきているという話です。乗り越えがテンプレ化している。

世界の中の人の動機付けが、論理実証主義な人たちが「普遍的言語」の形成をめざした姿勢と似ているように感じるので、「普遍」という言葉を使いました。ってわからないですね。すまそ。

で、本来

リソースが少ない世界は,自分を構成しきれずに崩壊

するはずなのに、崩壊せずにすませられるようになっちゃっている。「境界」を再生産することで。あるいはネタにすることで。

それは逆に乗り越えを記号化して取り込んでしまって,小世界自身を強化する(自慰行為ではない.おそらくコミュニティには受け入れられる)方向に働いてしまう.

システムが閉鎖系でなく開放系になっていると感じます。互いを繋ぐ力を強化するのではなく、代謝を活発化するために乗り越えを記号として消費し続ける。開放系というのがキモなのかも。

多分それは,ネットが有限の共有リソースを持たないからだ.

ええ。いくつでも疑似乗り越えを再生産できる。で、それが、乗り越えなければいけないものを乗り越えなくて済ませるための代償になっちゃう。周縁にいながらそれを意識しなくてすむ。

ええ。私の考えていたのは概ね同じです。補完どうもありがとうございます。