Webで記述できること

酔狂さんへのレスです。思索を表現することの最適性については面倒になるのでやめ。

>web2.0な世界が参加者にとってつまらないと、世界を構成するだけの求心力が無くなってしまうので、求心力が生まれる程度の面白さは常に保つ必要がありますね。

それは、Web2.0だからといってみんな同じ重みで繋がっていることはなくて、コミュニティが作る"タグの雲"(情報のクラスタリング)に基づき正しいSemanticWebをするのがいいんすかね? それはもはやロングテールじゃないから、Web2.0じゃない?

>システムのエッセンス(と言うか、進化?と言うか)が本当に人に理解できないレベルに達してしまうのかどうかは、まだちょっと言い切れない(つまり、必ず個人に理解できる、もしくは個人に表現できる範囲で本質的な面白さが得られなくなると言い切れない)気がしますです。群体としては、人間は最適化しきれないような気がするです。

ライプニッツウィーン学派らの「普遍的言語」ってやつを思い浮かべました。確かに、有識者の小難しい言葉を使っても最適な表現にたどり着くわけじゃないし、Web2.0なアプローチも世界の知識を表現できるわけじゃない。

書いたとき思っていたのは、チープ革命によって、みんなが日常のどうでもいいことをWebに流すようになったわけですが、テキストだけでやってても仕様がないじゃん、ということでした。ライフログやWearable Computerとか身体性と結びつけてくれた方がずっと筋が通っている。とにかくなんでもPage Rankはつまらんなぁと。

Web2.0で表されないもやもやが、次のメディアあるいはデバイスを考えるときのタネになるだろう、というお話でした。メディアに関わる者として、チープ革命マンセーだけではいけないなと。