20世紀消費社会の終わり

のまネコ問題について考えるたび、ベンヤミンボードリヤールの言っていた消費社会は今まさに終わろうとしている、と感じていた。

http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0639.htmlを読んでそれを再確認した。

「今日では純粋に消費されるもの、つまり一定の目的のためだけに購入され、利用されるものはひとつもない。あなたのまわりにあるモノは何かの役に立つというよりも、まずあなたに奉仕するために生まれたのだ」。
(中略)
彼は、これからの消費社会は言語活動(ランガージュ)の価値を変えるところまで進まないかぎり、きっと何もおこらないだろうと言っているからである。
(中略)
それはひとつには、このように社会の価値の創発契機をシステムの中にことごとく落としてしまっているのは、言語学・経済学・精神科学などの人間科学そのものの体たらくでもあって、まずはその「知を装う欲望消費」をこそ食い止める必要があるということである。

ネットのコミュニティ主体の経済活動、AAを代表に創作物と言語活動が一体になっているネット世代、Web2.0にみる欲望消費が新たな知を生むというパラダイムは、まさにボードリヤールの視野を超えている。