CMにおける乖離

CMには二種類の側面(情報の公布、消費意欲の誘導)がある。日本テレビの講演者が口外禁止として、後者の意義を指摘したのは興味深い。TV局が後者に触れるのは禁句らしい(消費者を誘導していることを知られるのはイメージ低下になるのだろう)。
しかし、そんなのみんな知っていることである。表では情報発信の良心のような顔をし、消費者を誘導する裏の顔を隠そうとするダブルスタンダード、そして、旧弊しかけているモデルに固執せざるを得ない体質こそが、チープ革命の敵たる「撃つべき神」である。

しかし、なぜ放送局がCMに固執するかは理解しておかねばならない。
1. マス広告の効果

  • 家の大きなテレビというのは気楽に使う機械。だらだら見る機械。ディスプレイにかじりつきマウスでぐりぐりするような機械ではない。
  • CMがリーチしているのは楽にみている人。
  • インターネットは欲する情報にアクセスするのに適しているが、欲してない情報にはアクセスしない→ (興味があるが)知らない人にリーチできない。
  • そのような人にリーチし消費意欲を向上するのがCM。マスで見たときの利益にはこの効果が重大。

2. 確立された広告モデル

  • CMの広告効果は、GRP: のべ視聴率=リーチとフリークエンシーの掛け算に基づいている。
  • 広告業界はみな、GRPでどれだけ売れるか、というのが感覚的にわかる。実証されている。
  • テレビ広告:イメージコントロール(すでにテレビの視聴形態や方法が確立している)が容易、見る場所・視聴する機器・時間帯や視聴構成が決まっている、メジャー感があり、話題になる。(「寝転がっているときに流したいCMがある」、すべてコントロールされている)
  • インターネットの場合ページビューしかない。使える指標がない。

Webにおける口コミ効果は消費意欲誘導の代用たりうる。しかしユーザの視聴姿勢、精度の高い尺度、広告手法が垂直統合しているCMの広告モデルに代わるにはまだまだ時間がかかる。電通博報堂がモデルを置き換えるために具体的なデータを出し積極的に働きかけない限り、TV局とメーカーが姿勢を変えることはないだろう。