さよならジュピター

物語を動かす謎に対して、対抗勢力との争いとは別に、先史文明を設定しその関係を描くことで行動の正統性をつける、というのは昔のSFはみんなやっていたんだよなぁ、と再確認。歴史と政治の二軸に対して倫理性やら正義やらを描いている。
今では歴史にそのような役割を与えていないですね。先史文明はガジェットと化している。あるいは終末という形で現れている。どこから変わったんだろう。エヴァまではこの流れに沿っていた。ナデシコは意図的にそういうのを相対化してた。ゲキガンガーとか木星とか。
登場人物の造形とか、対抗勢力の描き方とか、ずっこけそうになる展開とか、なにもかもみな懐かしい感じ。こういう先人のおかげでどこまで描けばいいかというフォーマットが出来た(というか庵野さんやらがフォーマット化したんだろうけど)んね。

しかし、まーいろいろ疑問の残る作品でしたw
ナスカの地上絵@木星って何?とか、ジュピター教代表がこぶしきかせてフォークソング歌っているところとか、無重力せくすとか、なんでメガネ君なのとか、マリア何したいの?とか、BHが近づいて大変なのに地上で海水浴場にサメが現れて大騒ぎとか。