劇場版 鋼の錬金術師

ストーリーとしては予定調和的。だがエドとアルの関係にきちんとケリをつけてくれたので満足。演出が犯罪的にうまい。

ハガレンのキモといえば、エドとアルの(あるいは他の登場人物との)軽妙な掛け合い、そしてお気軽かつダイナミックな錬成シーン。この作品では、アルの魂が鎧と一緒にミュンヘンに来た時、そしてエドが門を越えてアメストリスに戻った時、それらが描かれる。それまでの展開と苦労が、クライマックスで解放され、受け手の満足と同時に作品世界が正当化される。続編もののお約束演出なんですが、あまりに巧妙でとても楽しめました。エドとアルが二人で一緒に足場を錬成しているシーンなんてぞくぞくしたものね。ロイまでクライマックスまで錬金術を使わない周到ぶりです。

オチはかなり満足できるものでした。「ハガレン」であることを捨ててまでエドとアルの成長を描いたこと、そしてアルをエドの見ているレベルまで引き上げたことに対し、スタッフに尊敬の念を感じました。普通なら、錬金術の世界を大切な思い出として心に刻んだ上でもう一つの世界に敢えて戻るってな描き方をするわけですよ。「等価交換」にはそういう「選択」というニュアンスを含んでいるのです。何かを代償に何かを得る、というのはやはり、モノの善し悪しを都合良く選択している。しかし実際はそうではない。自分の都合に関わらず世界は巡っている。エドは世界と直面して考え、自分のなすべきことのためにミュンヘンに戻り、アルも(ラースを失ったこと、アメストリスに災厄を招いた罪悪感を乗り越えた末に)エドについていった。落としどころが本当に絶妙。

すごく意地悪な見方をすると、「第二次世界大戦前ドイツにハガレンキャラ集結」てなクロスオーヴァーご都合同人的ストーリーからみれば正反対のエンドだったとさえ言える。エドもそういうのを否定しているしね。

あとウィンリィがけなげすぎる。とっくに男を作っておきながらエドを思い出して揺れ動くなんてのが邪悪でよかったのですが。