「エウレカセブン」の構造
パトレイバーとかエヴァとかを経験した我々は、大きな物語と小さな物語とが地続きな世界を描かないと、今さら何を描いているんだ、ということになってしまう。しかしどうしても似た世界観しか作れない。
- ボーイミーツガールが発端
- 主人公の家族は損なわれている
- 主人公のヒロインへの興味が唯一明らかな動機付け
- ヒロインはシステム(世界の謎)につながっている
- システムが主人公の父もしくは母の代行である
- 主人公は未知なるものを希求している
- ヒロインを通じて主人公はコミュニティに参加する
- コミュニティのメンバーの多くは何がしたいのかわからない
- メンバーの中には主人公があこがれる者(リーダー)がいる
- リーダーは主人公の希求しているものをすでに成し遂げ、その結果挫折に見舞われている
- リーダーの女はヒロインのシャドウである
- コミュニティがシステムの明るい側面を、コミュニティに敵対する勢力がシステムの暗い側面を受け持っている。
神話レベルの物語構造と何が違うかというと、
- 主人公のシャドウの要素がヒロインとリーダーに分裂して転移している
- 身の回りの世界がヒロインとの関係とコミュニティとに引き裂かれている
ボーイミーツガールを至上課題としてきたエンターテイメントのこれまでの財産を使うとこうならざるを得ないよなぁ。上述の要素のうちリーダーに関する部分を除けばほとんどギャルゲかエロゲになるわけで。
このため、主人公はヒロインを通じた自己実現とコミュニティの中でのレゾンデートルとの間でゆり動かざるを得ない。そして多くの場合それは完全に解決されることはない。主人公が大きな事件に直面し、その解決過程のカタルシスで有耶無耶にされる。
最近の物語で終わってももやもやが残るのは、そのへんにあるんだろうなぁ。