深海大サーカス「不思議の国の1YB3H」

舞浜アンフィシアターで開催された艦これイベント:深海大サーカス「不思議の国の1YB3H」-1YB3H’s Adventures in Wonderland- の8/3夜の部と8/10夜の部に行ってきました。まさに舞台版艦これと言える内容でした。

以下は、いつも詳細なレポをあげてくださる、艦これ速報さんの以下の記事を参考にして記載しています。

kancolle.doorblog.jp

イベント全般の様子はこちらを。以下は演目自体に絞って記載します。

あらすじ(8/3夜)

19時53分。
迷子になったガンビアベイは、海のサーカスに迷い込む。それは深海磨鎖鬼ら深海棲艦たちだった。ピエロに捕らえられたガンビアベイは、深海サーカスに招待される。不思議の国のアリスのウサギに見立てられウサ耳を付けられたガンビアベイは、元の世界に戻るために何かを探しあちこちをさ迷う。

本隊からはぐれた山城、時雨、満潮は、謎の護衛空母(ガンビアベイ)に出くわし、後を追う。3人が気がつくと、そこは深海だった。落ちていたラッパを見つけ、時雨が持つことに。そこに駆逐イ級の群れが襲い掛かる。その後も、軽巡ツ級、雷巡チ級、潜水カ級ら襲い来る深海棲艦を迎撃するが、数で攻める深海棲艦にやがて追い詰められる。時雨は友軍要請のラッパを吹き、駆けつけた川内型3姉妹の支援により突破する。

そこに深海磨鎖鬼が現れ、君たちも知るあの海峡へ誘うと言う。スリガオ海峡の深海で、3人は戦艦棲鬼に遭遇する。第2の友軍である金剛型4姉妹が到着し共に撃退した後、ついに海峡夜棲姫に邂逅する。全滅の危機を迎える艦娘たち。そこに無良提督と第六駆逐隊ら水雷戦隊が到着、からくも打ち倒す。

ガンビアベイが探し物(キービジュアルで満潮が肩からかけていた浮き輪さん時計)を見つけて時空は戻り、山城、時雨、満潮はもとの世界に帰ってくる。深海磨鎖鬼は言う。過去を、悲しみを直視してこそ未来はあると。

戦闘表現

昨年度の氷祭りでは、水上での戦闘、艦娘の活躍が描かれていました。本演目では、エアリアルにより、立体的に戦闘が展開されます。特に布でのエアリアルにより、戦艦棲鬼の大きさ、強さを表現しているのが素晴らしかったです。中空の赤い布に1名の演者が入り、そこから四方に赤い布を降ろし、巨大なフォルムを再現していました。

海峡夜棲姫の表現もよかったですね。黒と白の二対の棲姫が球形のフレームに入り、外へ布を広げてその大きさ、影響力の強さを表現していました。背後のスクリーンには多数の彼岸花が揺れていました。

エアリアルは深海での戦闘も表現していました。最後の友軍で客席中央の通路に現れた六駆の暁らは、天井から垂れた青い布に登り、ステージに向かって攻撃していました。客席を巻き込んでの立体的な戦闘は見ごたえがありました。

内容とテーマ

振り返るに、過去の悲しみを大事にして今を生きる、という艦これが一貫して描いてきたテーマを再確認させる内容でした。艦これのコミック「いつか静かな海で」は現代の艦艇と結びつけて描いていたし、新春JazzでもToshIがそのメッセージに共感して参加を決めたというコメントを残しています。

本演目は、深海側を巻き込み、ゲーム内の死闘を再現することを通じて、そのテーマを描こうとしていたかと思います。現実で最も苛烈な戦闘を強いられたひとつである西村艦隊の片割れを主演とし、ゲームでも転換点の一つとして過去を乗り越えることを強く打ち出したスリガオ海峡の戦いをクライマックスに置いたのも、自然な流れと言えます。

大越さんらによる艦これBGMはもうひとつの主役とも言える効果を持っていました。「モドレナイノ」の悲しみ、「戦争を忌むもの」の勇壮さ、レイテ海戦のボス曲の絶望感は、舞台の展開を強く後押しするものでした。

サーカス、不思議の国のアリスという見立て

現実でも、西村艦隊が成し遂げたゲーム世界でもない、別の時空を艦娘を登場させて描くために、サーカスという舞台装置、不思議の国のアリスという見立てが必要でした。深海磨鎖鬼はまさにサーカスのクラウンとして舞台を進行させ、護衛空母でありながらタフィー3として太平洋戦争の趨勢を変えるまでの奮闘をしたガンビアベイは、トリックスターとしてウサギの配役をこなしました。最後、ガンビーが浮き輪時計を見つけたことで時空が戻るのだけど、君たちそんな重要な役回りだったの?w ただ、ウサギ役は他の回では秋月、ウォースパイト、瑞鶴が務めたようで、特にこだわりはなかったみたいです。

ともあれ、物語の舞台装置、および立体的な戦闘を表現する技術の2点を併せ持つサーカスを用いた発想は何気にすごいと思います。

この世界の扶桑は?

後段の情報も含めて修正。

前段作戦で、双眼鏡で何度か時雨を見ていたのですが、彼女は改二の髪飾りをひとつだけつけているように見えました。演目中何度も不幸だわを連発する山城は、折りに触れ、ここにいない扶桑に語りかけます。

もしかしたら、この世界では扶桑はとうに喪われているのかもしれないと思いました。

ただし後段で確認した限り、冒頭で山城は「はやく姉様に合流しないと」と言います。第2の友軍は、金剛型4姉妹ではなく、残りの西村艦隊の4人でした。この友軍について、公式はtwitterで次のように言っています。

後段公演では、劇中後半部で登場する友軍艦隊の編成が変わります。不思議の国に迷いこんだ1YB3Hの三隻、その救援に現れる幻のような四隻の友軍艦隊。

演目の最後、山城、時雨、満潮の3人だけが残されており、山城は「姉様ありがとう」と別れのような言葉を口にします。

深海磨鎖鬼の最後の言葉は、観客だけでなく、山城ら西村艦隊の片割れに向けられたものなのは間違いありません。そのことからも、西村艦隊の残りは、三人が不思議の国に迷い込んだときには喪われていたのでしょう。西村艦隊の7隻が海峡夜棲姫と対峙しているとき、山城には何か気づくものがあったのかもしれません。「銀河鉄道の夜」のジョバンニのように。

さらに追記。Wiki海峡夜棲姫に以下の記載があります。

「壊」状態になると艦橋と思わしき建造物が消失し、人影は山城に酷似したひとつのみに変化する。これは、扶桑が先に沈没し、そのおよそ1時間後に山城が沈没したという史実スリガオ海峡夜戦の戦闘経過を、再現した描写と思われる。 
記録によれば、扶桑は午前3時10分に船体が真っ二つに割れて沈没。その時、山城はいまだ健在であった。その後、山城は苛烈極まる攻撃を受け艦橋崩落しながらも突撃を敢行。満身に無数の砲弾を浴び艦全体が火の海と化し、さらに命中魚雷4発によりついに航行不能に陥るも、「ワレ魚雷ヲ受ク。各艦ハワレニ省ミズ前進シ、敵ヲ攻撃スベシ」「ワレ航行困難二陥レリ、各艦ハ扶桑艦長指揮ノモト、レイテ湾二突入セヨ」と信号灯で後続艦を叱咤激励し続けた。
そう、この命令文でも分かるとおり、山城は後続艦の最上を扶桑と思い込んでおり、本当の扶桑がすでに落伍、沈没していることを全く知らなかったのである。

山城が、すでに喪われた扶桑に向けて、ありがとうと言えたこの世界もまた、ひとつの救いなのかもしれません。

そんな悲しい物語を内に秘めつつ、サーカスを媒介にエンターテイメントにして見せた演出は、これまでのリアルイベからさらに踏み込んで艦これ世界を描くことに成功していると思うのでした。

椿大神社、都波岐奈加等神社、多度大社

伊勢国一ノ宮も志摩国と同じように2社あり、どちらも割りと行きにくい所にあるのですが、この機会を逃すと二度と来ないだろうから、頑張ってみました。また、伊勢神宮に参ったならば、こちらも行かねば片参りと言われる多度大社に行きました。当日のタイムテーブルはこちら。

もはや恒例のように、ホテルの朝食開始とともに飯をかっこみ、急ぎチェックアウトして移動開始。四日市でバス乗り場までどのくらいかかるかわからなかったので急いだのですが、6番乗り場は東口を出て右手にある横断歩道を渡ってすぐのところにありました。

待合室には大四日市まつりのポスターが貼られていて、大入道が描かれていたのが何だと思っていたのですが、大入道のWikiにも記載されている通り、四日市諏訪神社のお祭りで出てくるみたいです。なお四日市市ゆるキャラ「こにゅうどうくん」は大入道を元にしたもので、あちこちで見かけました。ただ2018年のゆるキャラグランプリで組織票をして順位降格されたというw 

バスで55分で椿大神社に着きます。「つばきおおかみやしろ」と読み、全国の猿田彦神社の総本営なのだそうです。なお、由緒によると創建はこちらも倭姫命らしい。鳥居をくぐるとすぐに、両横に聳える古木に苔むした石柵と、すごく雰囲気のある参道があります。境内には禁足地があったり、地球が描かれた謎の丸石があったり、拝殿の横に奉納された鉄砲柱(相撲部屋の)があったり、と色々謎なものがありあります。あとご朱印帳に、手塚治虫火の鳥に出てくる、サルタヒコとアメノウズメが描かれたものがあるそうです。本殿の横には、摂社としてアメノウズメを祀る椿岸神社もあります。あとは末社として松下幸之助を祀る松下社なるものもありました。

境内をまわった後、もうひとつの伊勢国一ノ宮である都波岐奈加等神社に行きます。こちらもどの最寄駅からも離れていて中々行くのが面倒な位置にあります。タクシーを時間指定してJR河原田駅から向かいました。拝殿はコンクリートの小奇麗な社です。ご祭神はこちらも猿田彦です。境内にあるプレハブのご朱印授受所に、社務所に居ますと張り紙があり、呼びに行って頂くことができました。

タクシーで河原田駅に戻り、桑名に向かいます。桑名といえばはまぐり。駅前にある「はまぐり食道」は食べログではそこそこ高評価なものの、Googleで出てくる口コミではかなりの低評価と分かれていて、だめかもなーと思いつつも行ってみました。店内はがらがら、接客のおばちゃんは口コミほどはひどくはないが愛想はやはりよくない、ちっちゃいハマグリの吸い物にしょぼいフライで2500円のぼったくり価格と、まあ後者の評価が正しいかな。

桑名から養老鉄道で多度に行きました。駅前からのコミュニティバスでうまく多度大社へ行けるようなので待っていると、東急の車両のような銀色の列車が入線してきました。ん?と見ていると、反対側のホームから、どこから出てきたのか撮り鉄たちが列車の写真を撮り始めました。よくわからないまま運転席に入ったり行き先案内表示を変えたりとやりたい放題。なんだ、と思って写真を撮ると、一人が近寄ってきて、撮った写真SNSアップしないでください、とのたまった。まあ関わりあいたくないし別に上げることはないけど。

多度大社は思ったより立派な境内でびっくり。ご祭神は天津彦根命らしい。天津彦根命といえば朝霧の巫女。ぐぐってわかったんだけど、天津彦根命の子供が天目一箇神だから天津彦根命目玉おやじなのね。多度大社は雄略天皇の頃に創建されたり、長島一向一揆のときに織田信長に焼き打ちされたり、本多忠勝桑名城主になって再建されたりと、中々ぐっとくる由緒を持っておりますね。境内に入ってすぐの石段の端に土の坂がむき出しになっていて、その脇には細長い長屋のような観覧席が連なっています。多度祭では、ここを馬が駆け上がりその良し悪しでその年の豊凶を占う「上げ馬神事」が執り行われます。石段を登ったところには芦毛の神馬がいました。境内は、ご神体である多度山に沿うように全体に坂になっており、全体に木々に覆われていて、見ごたえがありました。

 名古屋に戻り、新幹線まで時間があるので、あんかけスパを食べた後、ミッドランドスクエア裏にある7 Days Craft KitchenでOn tapをスターターで飲みながら店員となぜか徳川埋蔵金とかレイラインとかオカルトの話をしてました。

時間が中途半端だったので疲れたので早々に帰宅したのですが、時間があえば桑名からナガシマスパーランドに行くのもいいかも。アクセスはこことかこことか。

鳥羽水族館、伊雑宮、専修寺

午前中雨の予報だったため、屋内で過ごせる観光を考えていたので、いざ実際に雨が降らなかったのにあまり色々観光できなかった一日でした。鳥羽湾の遊覧船とか賢島とかあったのだけど、分厚い曇天の下ではなんとも魅力的ではなく、鳥羽水族館に行ったのでした。

セイウチやアザラシなどのショーは色々なことをしてくれてまあ面白かったのだけど、鳥羽水族館ならではというと、ダイオウグソクムシなどがいる「へんな生きもの研究所」のコーナー。ちょっといかしたポップと合わせてへんな生きものが色々と見れます。真っ白なウニ、瞳が円らな碧眼のヤドカリ、細い足ばかりのミズグモ、自分の殻の上に他の貝殻や石をくっつける貝などなど。

11時になったので水族館を出て、昼食をとろうとしたのだけど、お目当ての店がすでに予約で一杯というので、駅前のコンビニの弁当と揚げ天を買って車内で済ませたのでした。

上之郷にある伊雑(いざわ)宮は伊勢神宮の内宮の外宮で、伊射波(いさは)神社とともに志摩国一ノ宮とされています。横には御料地の田んぼがあり、伊雑宮に納めるお米を作っています。田植えの行事は香取神宮住吉大社と並び日本三大お田植祭とされており、そのときの田楽は「磯部の御神田」の名で無形の民俗文化財とされています。しかし、なんでこんなところにお伊勢さんの別宮があるんだと思っていたのですが、伊勢神宮を興した倭姫命がこの地まで来て建立さたという話なのですね。その際のエピソードは、日本酒の銘柄にある沢の鶴の酒名の由来にもなっているそうです。

 宿を湯ノ山温泉にとっているので、上之郷から北上します。松坂で乗り換えたのですが、松坂祇園まつりなるものを開催していました。普段はさびれた駅前の商店街に屋台が並んでいて、事前にわかっていたら下車したんだけどね。

JRの津の一駅先にある一身田で下車します。これで"いしんでん"と読むとかカッコいい。近くにある専修寺がわりと有名らしいので寄ってみることにしました。この辺の電車って亀山とか四日市とか位置関係がよくわからなかったのですが、津と亀山と四日市で三角形を作っているのですね。津と四日市近鉄伊勢鉄道が走っており、亀山から津、松坂を通って新宮まで紀勢本線が走っている。四日市から亀山、伊賀を通って奈良のほうまで関西本線が走っている。

専修寺は、浄土真宗の高田派の本山となります。歴史はWikiに書いていますが、親鸞の東国教化の本寺が栃木にあったのが戦国時代に戦火を逃れて三重に移ってきた、とかややこしいわ。ただ、それだけのことはあって、よくわからない位置にありながら境内もかなり広く、寺内町も綺麗に残っている。特に2つある大きなお堂(如来堂、御影堂)はいずれも2017年に国宝に指定されたそうです。他の建築物も軒並み重要文化財に指定されており、戦火や失火で焼失していることが多い神社仏閣にあっては珍しい現存度だと思います。

二つのお堂は中に入ることが出来る上、個人利用に限り撮影OKでした。SNSで公開するのは止めてね、なんていかにも今っぽい。お堂の中も綺麗に整えられていてありがたい。本尊の両横に掛け軸が掲げられているのは、他でも見たことあるな。御脇書というのだそうで。

寺を出て一身田駅に戻ると、列車がまだ来ないはずなのに、駅を出てくる学生がぞろぞろと。調べると伊勢鉄道の駅と構内でつながっていて、丁度列車が来ていたようでした。そんな仕掛けになっていたのか。出来れば早く湯ノ山温泉に行って、御在所山に登れればと思っていたところでした。

湯ノ山温泉は近鉄四日市で乗り換えて30分ほどで着きます。結局着いたのは17時で御在所山に登るロープウェイが丁度終わる時間でした。雨も強くなりはじめたこともあり、湯ノ山温泉の中心部に行くのもあきらめて、予約していた駅近くのホテルに退散したのでした。

伊勢神宮、伊射波神社

三重県には一ノ宮が4社もあってどうなってんだ、と気になっていたので、海の日の3連休に合わせて行ってみました。伊勢神宮もこれまで二度は行っているのですが、ご朱印は貰っていないのと、周辺の別社には行ったことがないので、合わせて訪れました。

名古屋で近鉄特急に乗り換え、伊勢市に着いたのは9:12。駅正面の参道を数分歩くとすぐに外宮にたどり着きます。朝早くにもかかわらず参拝客が多く、境内は雑然としていましたが、正宮の前はやはり厳粛な空気に満ちていて、身の引き締まる思いで参拝しました。隣の古殿地も近寄りがたい雰囲気ですし、境内の空気の振れ幅の広さが他の神社の比ではないですね。別宮に行く途中にある亀石が変わらずあるだけでほっとしたり。別宮の一番離れたところにある多賀宮なんかも、なんでちょっと離れたところにあるのだろう、ぐらいにしか昔は思わなかったんですが、今回は威圧感やばいとか思いながら参拝してました。

忌火屋殿や御厩など一通り巡ったあと、北側にある月夜見宮へ向かいます。社は木々に囲まれて静かに建っていました。参拝客も少なく、雰囲気があってよかったです。参道である神路通りもいい感じ。とある家の玄関口を見ると注連縄が飾ってありました。付けられた木の札には「蘇民将来子孫之家」の文字があり、おお本当に蘇民将来なんだ一年中飾ってるんだ、と感動。蘇民将来の話は愛宕神社のページにも書きましたね。伊勢の注連縄についての説明はこちらとか。

外宮前に戻ってバスに乗り、徴古館前で降ります。内宮の別宮である倭姫宮が近くにあります。こちらも月夜見宮と同じく森の中に社があり、厳かな雰囲気でした。隣の敷地には、神宮のお祭りや式年遷宮で使った品や衣装を展示する徴古館があります。10月には大嘗祭が催行されることもあって、覗いてみたのですが意外に普通でした。ここで時刻が11時過ぎになっていて、これからの予定を考えるととても時間がないので、急いで内宮へ。月読宮と猿田彦神社に行ってさらに、朝熊岳の金剛證寺まで行きたかったのですが、残念。

バスで内宮前で降りるとすぐに宇治橋がありま五十鈴川が増水していて手を洗えなかったのは残念。別宮は荒祭宮にだけ行きました。昼を過ぎていたこともあって参拝客が多く、慌しい参拝になってしまいました。

おかげ通りにある伊勢角屋麦酒でビールを一杯飲み、バスに飛び乗って五十鈴川駅から鳥羽に向かいます。

逆に時間が出来てしまったので、海老フライで有名な"漣"へ行きました。

sazanami.co.jp

限定の大海老フライがぷりっぷりなのだと。食べログでは客の回転が速いとのことだったが40分待たされた。次の予定もあったので普通の海老フライをいただきました。美味しいっちゃ美味しいけど、感動するほどでもなかったかな。

さて、この日のメインイベントである伊射波神社へ行きます。伊射波神社は志摩国一ノ宮なのですが、漁師のための神社であり、小さな岬の山の上にあります。車で行くことはできず、最低30分は歩く必要があり、全国の一ノ宮でも屈指の難易度を誇ります。行きかたはこちらを参照しました。公共機関ではコミュニティバスであるかもめバスがあります。2019年度の時刻表はこちら。今回は昼飯に時間がかかって目当ての鳥羽バスセンター 14:03に間に合わなかったので、タクシーで向かいました。運ちゃんには何度も心配されましたね。

終点バス停である安楽島のちょっとだけ先で降ろしてもらい、車の通れない細い道を歩いていきます。小さな丘の切り通しを抜け、しばらく下っていくと入り江の堤防に出ます。岬を回りこむようにさらに歩いていくと、海に面した鳥居にたどり着きます。海の水がきれい。そこから山へ登っていきます。森の中に長屋のような拝殿がありました。本当なんでこんなところに神社を作ったんだ。当然ながら社務所はなく、宮司の家の電話番号と地図が社の中に置かれていました。上の紹介サイトにある「奇跡の窓」を見てから、山を下ります。奇跡の窓は、思ったとおりちょっと小さく、そこから見える景色もまあ微妙。

宮司の家は、安楽島のバス停からさらに少し戻り、漁協のある三叉路で神社と反対に曲がった先にあります。三叉路には宮司宅への案内板があり、さらに家の前には看板がいくつもありましたw よっぽどみんな苦労してるのだろうな。丁度このあたりから雨が降り始めました。登るのがぎりぎり間に合ってよかった。

無事宮司のおっちゃんからご朱印を貰い、安楽島16:07のバスで鳥羽駅まで戻りました。丁度この日は別の近くの神社の例大祭があるとかで、バス停側にある立派な集会場ではカラオケ大会の準備のマイクチェックに余念がありませんでした。

宿で晩飯が出ないので、駅前のさざえストリートで食べることに。一番端にある「ザ・貝屋」でいただきました。伊勢えびの刺身にあわびの残酷焼き、さらに岩ガキと超豪勢な食事に。お店のおばちゃんにはイカの沖漬けに味噌汁をサービスしていただいたり、横で飲んでいたおっちゃんに晩飲みに行かないか誘われたりと、愉快な晩飯になりました。

愛宕神社ほおづき縁日

6/23,24が愛宕神社のほおづき縁日だということで行ってきました。艦これ的には、4コマで愛宕さんが駆逐艦ズを案内して、文月がほおづきもらってましたね。ちなみに愛宕さんの艦内神社はここじゃなく、京都の愛宕神社です。去年行ったときの日記が書きかけだったので、改めて。

ほおずき縁日といえば千日詣で、茅の輪くぐりで、3回くぐるんじゃなかったっけ、と調べたところ、確かに作法がありました。ん、蘇民将来

蘇民将来といえば、朝霧の巫女。乱裁さんを縛り付ける七生滅敵の呪いの印として何度も出てきました。蘇民将来スサノオにあやかった疫病退散の民間信仰で、茅の輪はそのお守りですかね。蘇民将来 - Wikipediaには護符として岩木山神社の晴明紋もあげられています。しかし、愛宕神社岩木山神社も(というか他の神社も)スサノオを祭神にしているわけでもないのに、茅の輪くぐりをしてるんですよね。あえていうと、大山祇神スサノオと縁故ではありますが、スサノオ自身は海とは縁が深いけど、山とのつながりは特に見当たらないんですよね。まあ、夏越の祓だから細けえことはいいんだよ、ということなんでしょうか。

愛宕神社は、御成門から一本奥に入って歩くとすぐに見えてきます。去年は、神谷町から愛宕トンネルを抜けて行ったのでした。愛宕神社といえば出世の石段。去年はそれなりにちょっと疲れた記憶があるのですが、割とすんなり登れましたね。10時過ぎだったため結構列が出来ていました。

茅の輪くぐりですが、一般的には輪の外を通らないといけないのですが、愛宕神社では門に結び付けられているので、それができないんですよね。門の敷居をまたいで三度行ったりきたりしました。そんなことしてるのは私だけで周囲に迷惑をかけちゃいましたw

お参りをした後、境内をしばらく散策。青い葉のほおずきの鉢が所狭しと並んでいます。およそ都会とは思えない涼しげな空気です。都心では珍しい高台に神社はあるのですがね。あえて心象を言葉にするならば、水に潜っているよう。火除けの神様強すぎです。

この後は、何気にラーメン激戦区な虎ノ門でラーメンを食べ、日比谷公園から皇居外苑を突っ切って、将門首塚にちょっと寄って、そのまま神保町まで歩いたのでした。

 

 

大雄山、足柄神社、寒川神社

10連休のGW残り2日に、足柄神社に行くことにしました。足柄神社は金時山を挟んで箱根の丁度裏側で、近くには大雄山最乗寺という古刹があるので、合わせて行ってみることにしました。

最初足柄駅に向かったのですが、電車の中で小田原から出ている大雄山線に乗らないといけないのを知り、足柄駅から五百羅漢駅まで歩いて乗り換えたのでした。五百羅漢というのは、玉宝寺に祀られている五百羅漢像から来ています。Wiki阿羅漢のページにあるように、五百羅漢というのは割と全国にあったりします。玉宝寺では本堂の中に列を成して並べられていました。いろんな顔や姿の羅漢さまがいて面白いです。

大雄山駅で降り、バスで最乗寺へ向かいます。坂を上っていくと緑が増えていき、やがて木々に囲まれた参道が見えてきます。終点で降りて、10分ほど歩くと山門が見えてきます。天気がよくて、緑もまぶしくて散策にはもってこいの場所です。紫陽花も有名らしいですね。

石段を登ると山腹に開けた境内に入ります。地元の崇敬が篤いのか、奉納された木札が何枚も壁にかけられています。また天狗伝説で有名らしく、門の両側に天狗の像が建っていたり、高さ2メートルほどの巨大な下駄が奉納されていたりします。奥の院へ行くには長い石段を登る必要があります。森閑とした杉並木は雰囲気があって、ゆっくりでも登りたいところです。

足柄神社は駅の反対側にあり、歩いて向かうことにしました。参道から横に曲がり、車道を1時間近く下りて行きました。脇道に入り、畑の横を歩いていくとやがてこんもりとした小さな森があり、その中に神社はありました。社殿は1つあるだけですが、本殿と拝殿がつながった形をしており、意外に大きい。また横には古びた石祠があり歴史を感じさせます。足柄神社は、重巡足柄だけでなく、現在任務についている護衛艦あしがらの艦内神社でもあり、境内に紹介する看板がありました。ここまでちゃんとした神社なのに、社務所がないんですよね。

帰りはバスで駅に戻り、小田原へ。5/3に北条五代祭りというのがあったらしくあちこちに幟が立っていました。時間があったので小田原城を散策。実は初めて。郭が残っているけど、全体に広すぎてぴんとこないなあ。

この後は折角なので、相模国一ノ宮の寒川神社へ向かいます。相模線の宮山駅から歩いて10分ほどです。神社の向かいに、市民会館のような参集殿がある。さすがだ。境内は全般に綺麗で、社務所も本殿も大変立派でした。5/1前後は改元記念で特別なご朱印がもらえたらしく、相当混んだらしいですが、この日は夕方だったこともあり、参拝客はまばらでした。本殿の奥に神苑があるらしいですが行きそびれました。

いい時間になったので、町田でベルギービールを飲めるお店である地ビール厨房Copaに。CorsendonkのGrand HopsとBinchoiseのSpecial Noelを。なお、現在は高座渋谷に引っ越されたそうです。

諏訪大社・有明山神社

諏訪大社は、茅野(ちの)駅に近い上社と、下諏訪駅近くの下社にそれぞれ2宮の、合計4社でなっています。4社を巡るのに、とくに上社への移動が大変なことで知られています。4社巡りにはこことか参考にしました。

当日のスケジュールはこんな感じでした。

上社に行くには、諏訪のコミュニティバスであるかりんちゃんバスがあるのですが、本数が2時間に1本くらいと限られています。信州の観光サイトであるさわやか信州旅からもリンクの張られている、信州ナビで調べるのがおすすめ。

バス停から歩くとすぐ上社本宮があります。門前にはお土産屋や食事処も多く、本来なら最後に来るのがよさそう。朝八時ですが参拝客も多く、社務所も開いていてご朱印を受け付けています。ここで2冊目のご朱印帳を買いました。1冊目は出羽三山のものでした。黒地に金色で諏訪神社のマーク(神紋ではなく"の"の字を描いた綱のシルエットみたいなの)がワンポイントに入っていてかっこいい。ご朱印帳の専用のサイトだと、千代紙のように華やかな柄か、龍など一面に絵が描かれているのばかりがお勧めにあがってきて、好みのものがなかなかないんですよね。ご朱印帳の紹介はこことか。

なお、この日は、4社巡りのためにご朱印を押してもらう色紙を限定販売していました。おかげで他3社でご朱印を貰うのが大変でした。

境内も見所が多いです。まずはもちろんの御柱。皮を剥いだモミの木が社殿の四方に建てられています。また拝殿を囲むように、小さな社や倉が建てられています。あと、入り口から入って正面に拝殿があるのではなく、横にあります。神体山である守屋山を向いていないようなのは、なんか不思議。あと、信濃一ノ宮の本社ということで、額を納める額堂、お供え物を置いておく回廊、大きな太鼓の置かれている神楽殿のほか土俵まであります。

後が押しているので次へ向かいます。結局本社には1時間ほどいました。

神社の隣にある法華寺には、吉良義央の子である義周のお墓があります。孫であり養子というのはよくわからない表現ですが、義央の嫡男は米沢藩上杉家に養子に出され(子供がいないと藩が改易させられるので養子をもらう必要があった、というのはchusingura46+1でも出てきていた)、彼の子供義周が逆に吉良家の後継が夭折してしまったので、吉良家に養子として入ったのでした。元禄事件で吉良家もとばっちりで改易させられるのですが、当の義周は諏訪藩預かりとなり幽閉させられていたそうです。お墓は寺の裏にひっそりと建っていました。苔むした石塔と石碑があり、無念の死ながらもその哀れさ故に丁寧に葬られていて無常感を覚えます。

 本宮から前宮までは早足で20分ほど。こちらはもともと摂社だったこともあり、社殿が坂の上に1つあるだけです。お参りをするのはすぐですが、ご朱印を貰う待ち時間もあり30分ほどいました。

前宮から茅野駅までも普通に歩くと20分ほど。10:13の列車に乗るため、最後は走りました。予定より1時間早く下諏訪に来ることができたので、うなぎを食べに行きます。春宮に行く途中にあるうな富でいただきました。

店に電話したのですが、基本予約を受け付けていないっぽい。しかし電話の応対が要領を得ないのでようわからん。一番乗りで待ってました。

料理は、うな丼特上に白焼き、きも吸いをいただきました。油の乗りが軽く、中が本当にふっくらしていてびっくり。三島など他で食べたものよりも、食感のコントラストが1段上だと思いました。白焼きは外がさくさくで中がふわふわでミルフィーユのようでした。次に三嶋大社に行くときに食べ比べる楽しみができました。

 春宮と秋宮は少なくとも主殿は同じ構成となっています。神楽殿には出雲大社を思わせる太い注連縄が掛けられています。その後ろには御幣を納める幣殿と拝殿が一体になった幣拝殿があります。拝殿の上の2階に棟がある二重楼門構造は岩清水八幡宮を思い出させます。両脇の棟も含めた独特の構造にいつまでも見入ってしまいます。

春宮では、ご朱印の待ち時間に境内の離れにある万治の石仏を見に行きました。半球の大きな図体に、モアイのような面長の頭がちょこんと乗っているユーモラスな姿をしています。岡本太郎が大好きで何度も訪れたのだとか。

春宮から秋宮へは間を結ぶ旧街道を歩きます。秋宮近くにはかつての宿場町の町並が残っていて、歩いていて楽しいです。門前町の土産屋や食事処も充実してます。

 4社のご朱印を集めると、記念品がもらえます。現在はご朱印帳を入れるのに向いている巾着袋でした。

諏訪での4社巡りを終え、安曇野にある有明山神社へ向かいます。駆逐艦有明の艦内神社です。有明山神社へ行く公共機関にはあづみ野周遊バスというものがあります。大糸線穂高駅を起点に、大王わさび農場やいわさきちひろ記念館などを巡ることができます。今の時刻表などはこちら。ただ、本数が少なく、今回は時間がなかったこともあり、有明駅からタクシーで行きます。車で20分ほどだし少々登るので、歩いていくのはわりとつらい。

昼間はもっていた天気でしたが、神社に着いたころには雨になりました。意外に雰囲気ある境内で、特に山門がいい感じ。改元記念で特別なご朱印もありました。 

松本に戻り、夕食を食べようとしましたが、有名なところはどこも一杯で、駅前の小木曽製粉所という蕎麦やで食べました。

あずさで帰宅の途につきましたが、駅を出るところでパスケースをなくしているのに気づく。駅員に問い合わせると乗務員が回収しているとのことで事なきを得ました。ありがたや。座席で尻をずらしていて滑りでたのかな。新宿まで取りに行ってなんとか帰宅。