御嶽神社

天気予報で翌日雨とのことで、この日に予定変更して木曾の艦内神社である御嶽神社へ行きました。

御嶽神社は、木曽福島からバスで40分ほどの王滝村に里宮があります。バスが一日に数便しかないのでなかなか大変。ちなみに今の時刻表はここ。バスの路線図はここ木曽福島駅のバス停情報はここ

スケジュールはこんな感じ。御嶽山参拝の古道があるというのと、中山道の宿場町として有名な奈良井宿に丁度乗り換えよく行けるので。

木曽福島のバス停は駅前すぐにあります。荷物が整理できていれば、一本後の9:01着でもぎり間に合いそう。7:04に間に合うよう、朝食を速攻で食べ、タクシーも使ったおかげで、わりと余裕がありました。木曽福島駅で1時間待つことになりましたが、観光案内所でおばちゃんと話したり、道を尋ねに入ってきた外国の観光客と相手したりしてました。駅から歩けるところに権現滝というのがあるそうですね。

王滝村からの地図はこちら。せめて清滝ぐらいまで行きたい。里宮の周辺あたりから、石碑がいくつも建っている。御嶽山のWikiの御嶽講の項によると、

各講の先達の魂は霊神として、その碑が御嶽山の登拝道に鎮められている。この「死後我が御霊はお山にかえる」という信仰に基づく霊神碑が御嶽山信仰の特徴の一つである。

 とのこと。御嶽信仰について記載したこのページによると、霊神碑の数は「王滝登山口、黒沢登山口、ともに、両側に林立する2万基を超える」らしい。霊神碑には、御嶽信仰に関係する神様や行者の名前を霊神の称を付して(普寛霊神みたいに)彫られている。里宮の鳥居の周りには鶴亀や五円玉、かえるの像が納められている。かえるは御嶽講の行者の姿なんでしょうね。林の中の300段ほどの石段を登ると、切り立った崖に寄り添うように建てられた本殿が見えてきます。周囲にある碑や石造りの社が多彩で、御嶽信仰のやばさがすでに感じられます。

 お参りを済ませご朱印をもらってから、車道に沿って山手に歩いていきます。道沿いにすでにぼろぼろと霊神碑が建っています。2合目から時折脇の林道を登ることになります。どこまでも霊神碑があってやばい。そうやって2時間ほど登ると清滝に着きます。道中は概ねなだらかなのですが、三合目にある大又三社への石段だけは急で段数もあってきついです。

清滝は行者が身を清めるのに使われたそうです。訪れたときも隣に建つ社で、白い衣に身を包んだ信者の方たちがなにやらやっていました。滝行はしていませんでしたが。滝自身も立派で見ごたえありませいた。

奥に新滝や温泉や神社もあるようなのですが、石段で割りと疲れたし時間を気にしながら登るのもあれなので、下ることにしました。車道に沿って下ったのですが、旅館や食事処はどこも閉まっていて、御嶽山史料館も閉館していました。木曽福島の観光案内所では、七合目にある田の原駐車場までのバスが今年からなくなったという話も聞きました。理由は王滝口から山頂まで登れなくなったからとのこと。今のところ田の原遥拝所から先は規制されているようです。その原因となった2014年の噴火について改めてWikiを読みましたが、突発的な天災の面も火山の危険性について周知がなかった人災の面もあり、事故の痛ましさに改めて胸が痛む思いです。

バスの1時間前に停留所に着き、休憩所で眠ってました。駅に戻り、列車で奈良井に向かいます。松本から着いたときも、ここで乗るときも、列車から降りる人を押しのけて地元民が乗っていってびっくりしました。なにこの民度。松本から名古屋までの篠ノ井線沿線には他に、寝覚の床や木曽義仲挙兵の地なんてあって、列車の本数がもう少しあればいいんですが。

中山道の宿場町である奈良井宿妻籠宿、馬籠宿もまた篠ノ井線沿線にあって、江戸当時の趣を多く残す観光スポットとなっています。妻籠宿、馬籠宿は特に外国の観光客に評判なのに対し、奈良井宿は比較的観光客が少ないとのこと。実際のところ、建物はそれっぽくてバリエーションもあって楽しいのですが、歩道が砂利道をあしらったアスファルトで、写真で見た感じ以上になんかちぐはぐな景色でした。端まで行って、木曽の大橋を見て、とっとと駅に戻ったのでした。

塩尻乗換えで、今日の宿がある上諏訪へ。東京に近いほうが上諏訪です。近くにあるうなぎを出すお店はいずれも品切れで、ホテルから少しいったところにある、料理をケータリングで選べる料理屋で夕食。

ホテルは諏訪湖畔に建つ温泉のあるところに泊まったのですが、泉質はまあよかったですね。

ところで、後日友人の持っている艦内神社本を読むと、御嶽神社の里宮は2社あり、木曽で艦内神社として祀られていたのはもう一社の里宮なのだそうです。ただ、もうひとつの登山口である黒沢口にある里宮本社はこのページによると簡素な境内なのだそうで、これはこれでいいか。

湯田中、関山神社、松本

湯田中の隣にある渋温泉郷まで早朝に散歩しました。桜が残っていて、あちこちで愛でることができました。また、昔ながらの温泉ということで、お寺や石碑、特に小林一茶の歌碑があちこちにあり、割と飽きずに渋温泉郷まで行けます。時間は30分弱ですかね。特に、世界平和観音という野ざらしの大きな観音像があるのですが、そこへ登る階段が桜のトンネルになっていて、とても風情があります。

渋温泉郷には、金具屋という有名な宿があります。なんでも「千と千尋」の油屋のモデルなんではないか、なんてことを言っていて、ぜひ見てみたいと思ったのでした。実際のところ、四階建ての棟の各階(少なくとも欄間)の意匠が違っていて面白い。ただ、道後温泉のように色んな棟が連なっていることもなく、古めかしくもないので、肩透かしなところもある。館内がもっと趣向を凝らしているらしいので、一度泊まってみたいものです。

渋温泉郷自身も、ゆるやかにくねる石畳の道に、昔ながらの旅館が連なりいい感じです。外湯巡りというものがあって、9つの公衆浴場がそれぞれ違うお湯で、渋に宿泊していないと入浴できないのですが、それぞれの公衆浴場の建物が趣があって外から眺めても面白いです。あと、奥にある温泉寺も、楼門や鐘楼がいい感じ。

一通り巡ってから戻って、宿に戻って朝風呂。湯田中の古くからある宿であるよろづやに泊まったのですが、そこの大浴場である桃山風呂がなにげに素晴らしい。湯屋が昔ながらの建物なのですが、それがお寺の本堂のように立派で、野天風呂からそれを眺めながらお湯を頂くのがとてもよかったです。

さて、この日の予定は、重巡妙高の艦内神社である関山神社へ行ってから松山へ移動すること。スケジュールはこんな感じ。

湯田中からの車窓からは、北信五岳である、妙高山斑尾山黒姫山戸隠山飯縄山を望むことができ、長野からのしなの鉄道の車窓からは、黒姫山妙高山を間近に見ることができます。

関山駅から関山神社までは20分弱歩くので割と余裕がありません。境内は森閑としていて、いい雰囲気ですが、社殿と神輿殿があるだけではある。ただ、軍艦妙高記念碑として、砲弾(五十口径二十糎砲教練用弾丸一個と十二糎砲一号減装用演習弾4個とのこと)を備え付けた台がありました。他の人のサイトによると、拝殿に妙高の写真や額も飾っているとのことですが、気づきませんでした。ご朱印ですが、社務所は開いてなくて、賽銭箱の横の机の上にあるタッパの中に入っていました。

境内の隣には、江戸時代に周辺を治めていた宝蔵院の遺構があります。跡地はほとんど何も残っていないのですが、奥に庭園跡として、作庭された池が妙高山を借景に望むことができます。隣接する家の敷地内にぽつぽつと石灯篭や石社が置かれていて、当時は広い範囲に境内があったことがわかります。出羽三山もですが、廃仏毀釈令で文化財が打ち壊され、今となってはごくわずかしか残されていない、というのにしばしば出くわします。 

関山神社を発ち電車を乗り継いで松本へ。まずは一通り街を散策。縄手通りはありがちな観光用の通り。本町通りは当時の蔵が割りと残っている上に、形にバリエーションがあっていいですね。夕食は、せっかくなのでジビエ料理を食べられる居酒屋へ行きます。食べたのは、馬肉3品盛り合わせ、鹿肉のジンギスカン、猪肉のマタギ鍋、〆のざるそばに日本酒3合。馬肉はコクがあってこのくらいの量なら飽きずに食べられますね。鹿肉のジンギスカンは合わせている野菜とのバランスがよい。猪肉は薄切りで、独特のえぐみが野菜と一緒に食べると丁度いい。総じて肉の質もいいのでしょうが調理がとてもよかった。

夜は宿から送迎を出している温泉で、酔いと食べすぎの胃を労わっていました。

戸隠神社

御嶽神社に行ってみたくて、長野に旅行に行きました。昼に戸隠そばを食べるため、立てたスケジュールはこんな感じ。

この一本後のあさま651号の指定席を取っていたのですが、はくたか551号の自由席が空いていたので、そっちに乗っちゃいました。バス乗り場は、メトロポリタンホテル前の道挟んで反対側ですし、バスの切符買ったりするので、8:20着のあさま651号ではつらいですね。なお、70系バスが出る長野駅善光寺口7番のりばはこちらアルピコ交通の戸隠行きのページはこちら戸隠高原フリーきっぷというのもあります。

戸隠は、古道をトレッキングしながら、中社・奥社に加えて周囲の3社で5社めぐりというのが出来るということで、楽しみにしていました。

しかし当日は、4月末とは思えない冷え込みで、すでに雪が舞い始めている。というので早々にくじけてしまったのでした。

戸隠中社は白木造りの大きな鳥居と、拝殿を囲むご神木たちが印象的です。拝殿自体も白木造りで格好いいのですが、境内に他に見るものもなく、早々に食事に行きます。

中社前にあるうずら屋は、戸隠そばでも一番有名なお店です。入店待ちの紙は2枚目で、ちょっと待つと入れそう。通常は10:30開店のところがGWは10:00ということで、まもなく店主がていねいな挨拶の後、順にお客を入れていきます。なお、この店では、入店待ちの紙に書かれた順はその日のうちはずっと有効で、席に空きが出来るとその都度、紙に書かれた残りの客の先頭から優先度が与えられます。

結局入店できたのは10:40頃。早朝に起きて来た甲斐がありました。注文したのは、大盛り2枚分になる大権現そばに、季節の野菜と野草の天ぷら、日本酒、そばがき、と明らかに食べ過ぎました。そばは、最初は美味しかったですが、後になると飽きるのと香りが落ちるのとで惰性のように食べてました。天ぷらはまあ美味しいですが、食べログで絶賛するほどのものでもなかった。そばがきは、ふわふわの新食感で面白いです。

店を出たのは11:40頃。丁度すぐに奥社に行くバスが来るようなので、寒さもあって乗ることにしました。バス停の奥社入口から奥社までは40分ほどとなっています。天気がよければ爽快な並木道なんでしょうが、雪は舞うし地面はぬかるんでいるし脇には雪が残っているし、なんとも憂鬱な道程。しかも、坂に入ると歩道も含めて一面が雪で、普通に雪山。靴の裏がつるつるなこともあって登るのも下るのも難渋しました。というか夏に来るべきですね。

奥社から戻ると、他の社に行くこともなく、長野駅に戻り宿に向かいます。宿は湯田中にとっていたので、長野電鉄へ。1時間ほどで着いて、後はのんびりしていました。

(計画)天城神社・天城山、三嶋大社

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天城神社

 

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大井神社、富士宮の神社

実家から関東に帰るのに途中で寄るとしたらやはり静岡。浜松で在来線で乗り換え、島田で降りる。

島田駅から歩いて数分にある大井神社も、やはり参拝客で賑わっていました。普段はもっと静かなのかもしれないけど、甘酒を振舞っていたり、参拝後にはお神酒をいただいたり。大井神社は日本三大奇祭である帯祭りで有名らしい。斜めにつるした刀にきれいな帯をかけて男が練り歩くのだとか。片足を大きくあげて歩く様の銅像が境内にもあるのだが、シェーみたいなポーズでなんともfunnyです。隣には島田鹿島踊りの像もあるのだが、派手な服と烏帽子帽の子供がやはり案山子のように両手を広げて足をあげているもので、これはもう何か呪いなのではないかと。境内には他にも元禄時代の燈篭があったり、摂社も割と大きくて雰囲気があって、大切にされているんだろうな。

次に富士宮まで移動します。富士駅身延線に乗り換えます。静岡を在来線で移動するのは久しぶりですが、普通に本数はあるので時間さえ許せばまあいけますね。遠江国の一ノ宮が掛川駅の先に2社あるので次の機会に。

飛龍の艦内神社である熊野神社はこの富士宮の奥にあり、どうやって行くんだと思っていたのですが、調べると白糸の滝の近くにあるらしい。富士宮駅から富士急のバスがあるのですが、土日と年末年始は大幅にバスが少なく、次のバスまで1時間以上あるとのこと。なんやねん。仕方ないのでタクシーで白糸の滝まで行くことにします。3000円くらいだったかな。タクシーのおっちゃん曰く、日蓮正宗の総本山大石寺が道すがらにあって、人口よりも多くの信者が来ることもあるとか。

熊野神社は、白糸の滝の駐車場向かいにある富士宮焼きそばのお店の横にあります。写真で見たとおり物置みたいなお社でした。風除けに木々が周囲に立ってるのでなんとなく風格はあるのですが、社務所もないので、どうしてるんだろう。

近くには曾我の隠れ岩という、曾我兄弟が親の仇である工藤祐経待ち伏せた岩がありました。少し歩くと工藤祐経の墓もあります。ただ、曾我兄弟の墓は歩くには距離があり行けなくて残念でした。大石内蔵助東下りの際にお参りしたというエピソードもありますし。タクシーで途中寄ってもらえばよかった。なお日本三大仇討ちの残り2つは、赤穂浪士と荒木又右衛門でした。

 駐車場から入ると富士宮焼きそば屋が何件から並びます。柵の先には音止の滝という川の本流の滝があります。自然にできたU字型の岩壁の上から結構な量の水が瀑布となって流れ落ちており、ダムの放水のようで壮観でした。白糸の滝は富士山の雪解け水が岩間から湧き出てできている滝なのだそうで、奥にあります。綺麗なカーブを描く岩壁の上部からどこから出るでもなく幾条もの水が流れ落ちる様は、まさしく白いレースのカーテンのようです。想像してたより大きい。色んな角度から何枚も写真を撮っていました。

帰りは来た道を少し戻り、ロータリーから数分歩いたところにある白糸の滝入口のバス停から快速バスに乗ります。雲が少し晴れ、山頂を覗かせた富士山はとても綺麗でした。富士宮駅手前の湧玉池のバス停で降りるとすぐに、駿河国一ノ宮で浅間神社総本宮である富士山本宮浅間大社があります。富士山頂の神社はここの奥宮です。

主神は言わずと知れた木花之佐久夜毘売命ですが、もとは浅間山を由来にする浅間神を祀っていて、咲耶姫と習合するようになったのは近世に入ってからなのだとか。そんなんでいいの、ズドン巫女さん。あ、ホライゾン完結おめでとうございます。

富士山で本宮なんだからどんだけ参拝客が押し寄せてくるんだろうと恐れていたのですが、意外に普通。楼門から拝殿から本殿まで真っ赤です。本殿は屋根の上にさらに棟を連ねた独自の二重楼閣造りでエキゾチック。厳かというより心ざわつかせる雰囲気の境内でした。神社を出ると、夕日に照らされた富士山をしっかりと望むことができ、大きな赤鳥居と合わせて印象的な光景でした。

明石神社・日岡神社、岡山の一ノ宮

新年早々に神社めぐり、だが夕方に弟夫婦が子供を連れてくるから、早く帰ってくるように親に言われていた。播磨国一ノ宮の伊和神社へは姫路からバスを乗り継けば行けそうなのだが、初詣でバスも参拝も時間が読めないと思い断念。最寄の神社と、岡山市近辺の一ノ宮に行くことにします。

まずは徒歩で明石神社に。工作艦明石の艦内神社なのですが、地元でありながら、これまで知りませんでした。柿本神社から天文科学館の裏を通って明石城の方へ抜ける道が好きなのですが、そこから少し上がった高台に神社はあります。早朝の冴えた空気に、見下ろす明石の街の景色は新鮮でした。建物は普通の家みたいで道場のような板の間に神棚があるだけです。普段は人もいないということですが、さすがに新年ということで社務所で神主らしいおっちゃんが近所の方と話をされていたので、ご朱印をいただきました。何気にレアご朱印

明石駅に出て、姫路経由で新幹線に乗り岡山へ。さらに乗り換えて備前一宮駅で降ります。吉備津彦神社は背後の中山をご神体とし、大吉備津彦命を主神に祀っています。山門手前の広場では焚火がたかれ、甘酒が振舞われ、参拝客がこれから増えてきそうな感じでした。境内では子供たちが獅子舞の準備を行っていました。本殿は明治に再建されたそうですが、地元の崇敬を集めていていい感じだなと思いました。

で、備前一宮の隣の吉備津駅には、備中国一ノ宮である吉備津神社があります。10分ほど歩くと初詣の車の列が。松並木の参道を歩き、石段を上がっていくと、随神門がそり立っています。門はそのまま拝殿につながっていて、すぐにお参りすることになります。すぐ奥に神札やお守りを売る授与所があるのですが、奥に千代の富士の全身像があったのが謎。本殿横の広場では、餅つき保存会という方たちが、三味線や小太鼓に合わせて餅をついていました。おすそ分けの餅を配る列と御神籤を引く列で広場はにぎにぎしかったです。

拝殿は本殿とつながっているのですが、比翼入母屋造という全国でも珍しい様式なのだそう。本殿は2つの棟が圧縮されたように連なっていて、その横から拝殿が伸びています。屋根の端は翼を広げるように反り返り、棟の柱が朱色に金の装飾が施されていることもあって、壮麗の一言でした。

境内は山のほうに広がっていて、いろいろあるようですがとりあえず退散。随神門から裏の方へ抜けて降りていく回廊があります。駐車場へつながっているのですが、これもまた立派。駅へ戻る道すがらには、日本に茶の湯を伝えた栄西禅師の生誕地の碑がありました。茶碗の形をしていますw

岡山にもどって昼過ぎ、食事をとっても少し時間がありそうなので、岡山城横にある後楽園に。正月は無料で入園することができました。日本三名園といわれていますが、兼六園に比べると割とつまらない。このページが正しいなら、海外の人に受ける林泉廻遊式の近代っぽい庭園の中で、残り1枠を政治的思惑でねじこんだようですな。大勢の人が隙間なく池を囲み鶴を見ているのが、また景色を損ねて興ざめでした。

帰り道に加古川で乗り換え、加古の艦内神社である日岡神社に向かいます。1時間もあれば参拝できるだろうと見ていたのですが、山門の外から参拝客がめっちゃ並んでいる。参拝に一時間半かかりました。日岡神社の主神は天伊佐々彦命で安産の神様として知られ、広く播磨一円からおまいりする人が絶えないそうな。こんなん想定しとらんよ。

信貴山・龍田大社、大阪の一ノ宮

龍田の艦内神社である龍田大社信貴山の丁度裏にあることを知り、あわせて行ってみることに。

信貴山には大阪側から登り、奈良側から降りることにします。鶴橋から近鉄信貴山口駅で降り、ケーブルカーに乗り換えます。終点の高安山駅で待ち合わせているバスに乗り、信貴山門バス停から徒歩10分強でしょうか。ホテルの裏の細い道を下りきつい坂を登ると、山腹に寺社が埋め尽くされています。中も細い道を上り下りし、諸々の神仏をお参りしていきます。中心にある朝護孫子寺は、醍醐天皇まで遡る由緒あるお寺であり、本尊の毘沙門天王は聖徳太子物部守屋を滅ぼす際の由縁だそうで。ありがたいのでご朱印をもらっておきます。待っている間、本堂内にある戒壇めぐりに行ってみました。地下道を壁沿いに手探りで歩き、奥にある仏さまにお祈りするというものですが、道中は完全に真っ暗でプチ修行的で面白いです。

奈良の方へ降りるバスが1時間に1本と限られているので、急ぎ足でバス停に戻ります。境内からは信貴山城址に登ることもできたのですが次の機会。王寺駅お好み焼きを食べ、奈良線三郷駅で降ります。

改札で薬の「改源」のパッケージに描かれている風神が出迎えてくれるように、龍田大社は風神として(主神が天御柱命)古くから信仰を集めているそうです。在原業平の歌で有名な龍田川ですが、脇を流れている大和川が相当するらしい。生駒山沿いを流れている今の竜田川は別物だとか。何やねん。山の裾にある神奈備神社も万葉集に多く詠まれているそうです。

坂をいくらか登ると龍田大社はあります。立派な拝殿がすぐ正面にあります。柱に斜めに巻かれた注連縄が龍のよう。参道にある砲塔と砲弾は日露戦争のときのものらしいです。大晦日の朝ということで出店の準備をしているおっちゃん達以外に人気はなく、社務所で何度も呼びつけてご朱印をいただきました。

山を降り、和泉国一ノ宮である大鳥大社に向かいます。JRで天王寺経由で鳳駅で降ります。大鳥大社は、もともと当地の豪族だった大鳥連の祖神を祀っているのですが、日本武尊が死後白鳥になって最後に留まったという伝説にあやかって、日本武尊を合祀しています。商売上手ですな。境内前の参道が、かつて熊野詣でで往来が多かったとのこと。平清盛後白河法皇など熊野詣で好きで、この時期には整備されていたのですね。

大鳥大社の白木の鳥居はとても大きく、何度も折れ曲がる参道には初詣の準備をする屋台が並びます。本殿は当時の造りを残していながらとても立派。それを取り囲む社務所がま新しくて、威圧感すら感じます。境内は広く、中にある摂社にも献燈がずらっと並んでいたり、ともかく大きな神社でした。

次に住吉大社に向かいます。戦艦攝津の艦内神社で摂津国一ノ宮ですが、なによりも全国の住吉神社の総社であり、いろいろ規模が半端じゃないです。

住吉東で降り、裏手から入って末社である楠珺社の初辰まいりの幟の並ぶ通路を抜け、前と横にある朱門のどちらをくぐるのか迷い、日本三舞台のひとつと云われる石舞台の横を通り、立ち並ぶ巨大な石灯篭に目を眇め、入口と出口専用に分けられた門を選んでようやく本殿の敷地に入ります。

中には4棟の本殿が並んで建っており、4柱の祭神がそれぞれに祀られています。国宝の立派な本殿たちに参拝客は順にお参りをしていました。ぐるっと囲んでお守り売り場のテントがあるのですが、お守りの種類がすごい。交通安全から航海関係から兎のお守りまでずらりと。あと、巫女さんが頭に冠をつけてるのですが、それが松の飾りになっているのをはじめて見ました。天冠といって普通にあるみたいですね。

他にも色々普通にはないものに溢れていました。御文庫は書籍商が文書を納めた蔵で、関西最古の図書館といっていいものだそうで。いろんな神社にある伊勢神宮の遥拝所も気合入っているし。神社前の反橋は、道路から神社が見えないくらいに高く反っているし。

住吉神社前駅からなんばで御堂筋線に乗り換え、本町で降ります。中央線の方に行って15番出口少し行ったところに、もうひとつの摂津国一ノ宮の坐摩神社があります。「いかすりじんじゃ」が正しい読み方ですが、「ざまじんじゃ」と呼ばれることが多いとか。四方をビルに囲まれたなか、ぽっかりと開けた空間に新しいお社が建っています。本能寺や万松寺のように完全にビルになってしまっているのではなく、そこだけが神聖で異質な空間となっていました。地面に大晦日の大祓の後で白い紙が散らばっていたのが記憶に残っています。